じめて私はゴッホを私なりに真に理解し得たといえる。
この作品で、かつてオランダに生きていたゴッホという画家がチャンと書けているとは私は思っていない。それはとても書けるものではない。まず西洋人である。西洋人には東洋人にはどうしてもよくわからない何かがある。次にゴッホの人間を深いところで決定づけていたキリスト教の実体がわれわれにはなかなか掴めない。この二つを掴むために私は私に出来る限りの努力はした。しかしこれでよいという気にはどうしてもなれなかった。
せいぜい「私がこんな人ではなかったろうかと思っているゴッホという人間」の姿の一部というところだろう。芝居としても上手に書けたという気にはどうもなれない。しかしゴッホという人間画家の一角に僅かながら爪を立てることだけは出来たと思う。
[#地付き](『三好十郎作品集』より)
ゴッホとのめぐりあい
言うまでもなくこの人は私にとって見も知らぬ外国人なのに、それに対して実に強い親近感を懐いている。それは非常に近しいイトコのことでも考えるように強いもので、しかもそれがごく自然だ。この感じは「炎の人」を書くためにゴッホのことを調べたりしたために生れたものではなくて、ずっと以前からだ。
なぜだろうと考えても理由はよくわからない。第一ゴッホの絵を複製で見たり生涯のことを知ったのがいつだったか覚えていない。もともとすべてのことについての年月日についての記憶力が薄弱な人間だが、それにしてもこれほど強い影響を自分に及ぼしたゴッホとの最初のめぐりあいのことをこれほど忘れてしまっているのはチョット不思議だ。そうしてそのことがまた、ヒョイと気がついてみたら自分のイトコがすぐにそこに立っていたのに気がつきでもしたように、ゴッホへの親近感の深さや自然さの証拠になるかもしれない。
私は少年時代から青年時代へかけて非常に絵が好きで、人のかいた絵をみるのを好み自分でも水彩画を描いた。ことに中学の一年二年三年あたりの時代では夢中になって絵をかいた。主として自分の身辺の自然を写生した。今思い出してみると面白いことに私が生れて初めてまとまった金をかせいだのはその当時で、自分のかいた絵によってである。私はひどく貧乏で中学の学費だけは親戚の者たちからわずかづつ支給してもらっていたが、いつもほとんど金は持っていない。それが書店の店頭で雑誌を見ている間に、その当時あった雑誌の一つで確か武侠世界という雑誌で表紙の絵を懸賞募集していることを知ったので急いで描いて送ったが、まさかと思っていると次の月のその雑誌の表紙にどこかで見たような絵がのっていると思ったらそれが自分の絵で、びっくりしていると賞金が送ってきた。当時の金としては多額のものでそれに十八金製のエバーシャープの副賞がついていたように覚えている。その金でかねてほしいと思っていた書物や絵具などを買いこんだ上に、かねておごってもらうばかりの友達たちに今度はこちらがチャンポンやまんじゅうをふんだんにおごってやって一週間くらいで金の方は使ってしまった。当時中学の絵画の先生から愛されて私だけはクラス中で特別に優遇され、年一回県庁で催される六人の画家たちに交って私一人が作品を出品する資格を与えられたりした。その時代の大人の画家たちとも二三知り合いになったりして、いずれそういう人たちからゴッホの話を聞いたり画集を見せてもらったに違いない。ゴッホの絵を初めて見た時分は非常に驚いたに違いないが、今からそれを思ってみても格別それほどいちじるしいことが起きたようには感じない。まるで水が低い方に流れるように、自分がゴッホを知ったということが自然に思われるのである。
思い返してみると私の青少年時代は普通の人に比べてびっくりするくらい変化の多い生活であったが、ことに中学の一二三年ぐらい私の上には境遇の点でもまた私という人間形成の点でも言ってみればシュトルム・ウント・ドラングの時代であって混乱と動揺に満ち満ちた月日であった。そうだ、当時の私がおそろしく貧乏で孤独でそして絵が好きであったという点では、ゴッホと類似があるかもしれない。食べる物も学費も着るものもいっさいがっさいが気まぐれな叔父叔母のめぐみによるものであって、学年末に至るまで教科書がそろわないことが常例であった。それに両親の味を知らない孤児で、自分を育ててくれた祖母は十二歳の時にすでに亡くなっていた。親戚や友達は多かったが心はいつでも肉親の愛に飢えていた。絵は前述の通り何よりも好きであったが、その水彩画を描く画用紙や絵具が完全にそろっていたということはめったになかった。それでいながら私の性格にはどこかしらのん気な所があって、そういうことをさまで苦にやんでいなかった点はゴッホの若いころとはだいぶ違うようだが、しかし貧乏で孤独であったという点では似ていたと言えよう。貧しい人間は本能的に貧しい人がわかるものだ。孤独な人間はこれまた本能的に孤独な人をかぎわける。そうだ、私のゴッホに対する強い親近感はあるいはそのようなところにも根ざしているかとも思う。
しかしもっと根本的にはゴッホの絵の本質に私が強く強く自分の内部を動かされたからだという気がする。彼の絵をじっと見ている私の内部の、ほとんど自分にも気がつかないような深いところが刺戟され、そこがうずき走るように快い。私は一般に絵画が好きだからどのような画家の絵も喜んで見るが、ゴッホの絵を見て感じを与えられる画家は他に幾人もいないのである。この感じは私に非常に親しいものであるのと同時にいつでも新鮮なものだ。言葉でも文章でもこれは説明ができない。しかしゴッホの絵を見ていると、それがそこに実在しているということをなんの疑いもなく私は感じる。そしてゴッホのことを「真の画家である」と思うのである。
[#地付き](一九五八年九月上旬)
底本:「炎の人――ゴッホ小伝――」而立書房
1989(平成元)年10月31日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年3月24日作成
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