大なことの決定にあたっては、それらの責任者たちは、国民から委託された権限の地位からもう一度おりて、あらためて国民の総意を問うだけの手つづきを取るのが至当ではないでしょうか?
 そんなことをしていれば、機密が洩れたり戦局にまにあわないというようなことが起きるでしょうが[#「しょうが」は底本では「しようが」]、それはまた何かの防ぎようがあるのでしょうし[#「しょうし」は底本では「しようし」]、それだけを理由にして、独断によって使用されるものとしては、それらの兵器の効果は巨大にすぎるし、残酷にすぎます。使用された目的と、使用された結果とがバランスを欠きすぎるのです。ある一つの国を負かすのに、その国民をそのようにたくさん、いちどきに殺す必要はないのです。
 たとえば、主人から「犬が吠えてやかましいから吠えないようにしてきてくれ」と言われて、家の近くの犬という犬を一匹残らず打ち殺してきた下僕があったとしたら、どうでしょう? それに似たような、そしてそれよりも何千倍もグロテスクで恐ろしいアンバランスが、このことの中にあるような気がするのです。
 あなたはこの点をどう思われるでしょうか[#「しょうか」は底本では「しようか」]?
 戦争中、アメリカ全国民は、たぶん、原爆を日本に使用するについて、軍から相談を受けなかったのではないかと推察されます。もしそうだとすれば、それをあなたはよかったと思われますか、よくなかったと思われますか、かつ、その場合の原爆使用についての責任の所在はどういうことになるか、また、そのこととあなたがたの民主主義との関係はどんなものになるのでしょうか[#「しょうか」は底本では「しようか」]?
 さらに、今後もし万一、戦争が起きたばあいに、このことはどんなふうに考えられ、どんなふうに手つづきがとられるのがもっとも至当だとあなたは考えられますか?
 以上のいろいろの質問に答えていただければ私はひじょうに[#「ひじょうに」は底本では「ひじように」]うれしいでしょう。どのような角度からの、どのような種類の答えでもけっこうです。私の意見や言いかたのある部分を、とがめてくださることもけっこうです。ただ、正直な、ホントのことを聞かせてください。お願いいたします。
[#地から1字上げ](一九五三・五)



底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
   1968(昭和43)年
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング