、痛くも痒くも無え、……こりゃ、へえ、ぢょうぶ甘えもんだ。(歯の無い口の中を飴玉を彼方へやったり、此方へやったりしながら、やっぱり腰に両手をかった姿で、無表情な顔のまま、再び麦こきにかかった青年の姿に目をやっている)……ふむ……おふくろさんに逢いたからず?
青年 ……(チラッと百姓の方を見るが、直ぐはにかんだような微笑を浮べて麦こきの上にかがみ込む)
百姓 ……いとしげに。……(その大きな荒れた指先を眼の下へ持って行って流れて来た涙をこすり取る。いつまでも小さくならない飴玉を歯の無い土手でゴリゴリと持ちあつかいながら)
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(間……青年が何かムキになってこき進む音だけが、ブリリ、ブリリと響く……)
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青年 ……ドッコイショ、と……いけない、こいつはまだ残っている……(もう中止しようと思う最後の麦束を、もう一度叮寧にこき直して……)やって見ると、これで、コツが有るもんですね……(中止して手をはたきながら少し上気した顔で百姓を振返ると、まだボンヤリと自分を見ている百姓の眼にぶっつかって、チョット目を止めるが、テレて片掌で額を拭き)ハッハハハ……(先刻からの会話から醸された[#「醸された」は底本では「酵された」]気分を打切るように笑う)ハハ。
百姓 ……(しかし、これはその笑いに乗って行こうとせず、単純な自然な動作で、黙ってトコトコと寄って来て、青年と入れ代って麦こきにかかる)
青年 ……そうだ、飯を食っちまっとくか。……(リュックサックの方へ行き、それを開けにかかる)
百姓 ……(身体を動かしながら)おまんま食べるんだら、湯でもわかしてやろうかな?
青年 いや、水でたくさんです……(言いつつ握り飯の包みを取り出しかけて、フとリュックサックの一個所に目を附け)いけない、……何かに引っかけた。ええと……そうだこっちが先だ。(草の上に坐り、握り飯の包みを傍に置き、リュックのポケットから、小さいケースを取り出し、それを開いて、糸と針を取り出して、馴れた手付きで針に糸を通して、サッサとリュックのほころびをつくろいにかかる……。
百姓 ……(急に青年が黙りこんでしまったので、そっちを見る)水なら、そのヤカンに――(飯を食べていると思っていた青年が針を使っているので、しばらく眼をこらして見ていたが)どうしやした?
青年 やあ……(セッセと縫う)
百姓 ……(また二つ三つ手を動かして麦をこくが、なんとしても気になる様子で青年の手元へ眼をやったままである。そのうちに、そっちの方へ自然に引き寄せられるように寄って行く。片手に麦束を握ったまま)
青年 ……借りて来たリュックですからね……そいつが、また、なかなかやかましい山男で……ほころびをさせたりしていると、説教だ。……(縫いながら)
百姓 うーむ……(低く唸るような声を出す。腰を曲げ、両方の膝に両方の手を突いて、青年の手元を覗く)……うめえもんだなし! 男のくせに……おらなどより、うめえ。
青年 なに……年中船の中にいるもんだから、……みんな、こうです。
百姓 そうかい、そいつは……(青年が縫い終るまで、まじろぎもしない)
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(そこへ下手の小径からスタスタ出て来る二人の人。前は野良着に巻脚絆に戦闘帽の中年の男。伸ばしっぱなしにした不性髭の中から眼鼻が覗いている毛深い農夫で、荒縄の帯に鎌を差し、横ぐわえにした煙管から煙、後はまだ廿四五の若い女で、キリリとした袷にカルサンに草履、片手に小さいフロシキ包みを下げ、白粉気の無い白い顔が引きしまり、沈んだ眼の色。……二人は老農婦が此処で働いている事をよく知っていてやって来たもののようで、直ぐに百姓と青年の姿を認めて、スタスタ寄って来る。殆んど足音を立てないので縫物に集中している青年も、それを穴のあくほど見守っている百姓も、気が附かぬ。中年男と若い女は二人から三四間の所に立停って、黙って突立ったまま、同じように青年の手元を覗き込む……)
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青年 ……これでよしと。(縫い終ってケースから小さい鋏を出して糸を切る。中年男と若い女にも此の場の様子がわかって来る)
百姓 へえ! なんたらチャッケエ鋏だあ!(讃嘆の叫び声)
青年 ハハ、これで、案外よく切れるんですよ。(鋏を百姓の手に渡して見せる)
百姓 (それを、大きい掌の上で打返し打返して見ながら)へえ、まあ! かわゆらしい! こんでなあ、切れるかや?(それまで珍らしくも無いと言った様子で眺めていた中年男が、肩をすくめる)
青年 (ケースを示して)これが指ぬきです。これが糸、これが針差し、先の曲った針もあります。そいから――
百姓 一式そろっていやすね! ふーむう(惚れ惚れとして見入っている。中年男はニヤニヤしている。若い女はきま
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