トに入れる)
百姓 ガダ、ガダルカ?(まだ言いにくそうである)あんだえ?
青年 ハハハハハ。……おばあさん、自分が歌を歌います。おばあさんの歌を聞かせて貰ったお礼に。
百姓 俺が歌――?
青年 いえ、先刻聞きました。約束ですから……下手ですが……(ニコニコしながら、草の上にアグラをかいて、上体を真直ぐに伸ばし、頭を昂然と上げ、両膝に両手をチャンと置いて、なにものとも知れず、正面はるかな所へ、キチンと一つ頭を下げる。しばらくそうしていてから、頭を上げるや、いきなり、器量一杯の声で歌い出す)
花の花とも、言うべき花は
わが日の本の桜花
散れよ朝陽に、匂いつつ(白頭山節)
百姓……(口を開けて聞きすましていたが)やれ、うめえもんだなあ! へえ、よ! なんつう歌だ、そりゃ!
青年 ハハハ、これ位しか歌えません。ハハ……それでは、もう時間が有りませんから、これで失礼します。どうか、おばあさん、お大事に。
百姓 やれまあ、そうかえ。……なんだか、へえ、おなごれ惜しいみてえだ……じゃあま、お前さまもお大事にな。
青年 (リュックサックの[#「リュックサックの」は底本では「リユックサックの」]口を締めながら)多分もう……この辺に来る事もないでしょうが、……おばあさんの事は忘れません。……それから道雄さんと言う人の事も憶えて置きます、……では、これで、……(靴のかがとを揃え、ピシッと不動の姿勢、帽子を脱いでキチンと頭を下げる)
百姓 (相手の様子にびっくりしている)
青年 ……(漸く頭を上げて)海軍中尉、藤堂正男と申します。……ありがとうございました。……(リュックを肩にピッケルを取る)
百姓 ……(それをジッと見守っていたが、やがて)お前さま、海軍さんかえ?
青年 はあ……いや……ハハハハ。では――
百姓 そうかえ! そりゃ、んだが……そんじゃ、ま、……ふむ……(何か言おうにも、急には、うまい言葉が出て来ないのに、相手は、もう、下手の小径へ歩き出している。それを追いかけるように、ヨタヨタと一二歩前へ行き、口をモガモガさせたり両手を上げたり下げたりしていたが、トッサにはどんな表現も有り得ようがなく、いきなり、その黒い大きな両掌を合せる)……へえ……じゃ、ま……よろしく頼みやす。
青年 (振返って、それを見て、テレて頭を掻きながら、ニコニコして)おばあさんも、よろしく頼みますよ。……
前へ
次へ
全39ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング