百姓 うむ、小淵沢なら一時半と、その次ぎは三時だ(語りながらも、ムシロをチャンと引っぱったり、千歯を据え直したりしている)
青年 そうか。……(ホッとするが、尚もう一度たしかめるため、ポケットから時間表を出して時間を繰っている)
百姓 東京へ行くんだら、なんでも、その次ぎの六時ので行っても、レンラクは有ると聞いたがなあ。(麦こきの仕度が出来て、一息入れるために笠をとる)
青年 なに、東京へチョット寄って、今夜中に横須賀へ出なくちゃならんもんだから。……ええと十九時……よしと。ハハ、なんしろ道に迷ったんじゃないかと思ったもんだから……しかし、こうなると却って時間が余ってしまった。――(言いながら頭を上げて相手を見て、びっくりして言葉を切る。時間表を調べている間に笠をぬぎ頬かむりを取ったのを見ると、殆ど白髪になった頭髪に小さく結った髷が現われる。しわが寄り、陽に焼けて、眼つきのおだやかな、とぼけたような感じの老媼の顔。先程平手でこすった時に附いた土が鼻のあたりに鬚のように残っている)
百姓 さようさ……(額に掌を当てて少し傾いた太陽を見上げ、次ぎに、ぬいだ手拭で顔を拭きなどして)今から三時の上りに乗るんでは、いくらユックリ歩いてっても、だいぶ間があらあ。……(相手がマジマジ見ていることなどにとんちゃくなく、拭き終った手拭いを今度は姉さまかぶりにして、さあてと言った顔になり、黒い両手にペッペッとつばきをくれて、麦束の方へ)
青年 ……(フッと笑えて来る)
百姓 んだが、この辺じゃ、別に見るようなとこも無え。あっちを見ても此方を見ても、へえ、唐松林と山ばっかりでな、(麦束を取って、片足でシッカリと千歯の踏板を踏んで、麦の穂をこき落しはじめる)
青年 はあ、……(おかしさが止らず、声を出してクスクス笑う)……
百姓 珍らしいもんなんぞ、何一つ無えづら。この信濃なんという国は、へえ、昔っから山ばっかりだ。飽きもしねえで、じょうぶ、山ばっかり拵えたもんだ。(ブリブリと音させて麦をこいで行く)
青年 ハッ、ハハ、ハハ、
百姓 (青年の笑い声で、その方を見る)……?(相手が自分の顔ばかり見ているので、顔に何か附いてでもいるかと思い片掌でツルリと顔を撫でる。すると又眼のあたりに泥が附く)
青年 いやいや……ハハ、ハ……
百姓 なんでやす?
青年 ……そう言えば、声は女の人のようなんで、
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