や、実は、理智的理論的な追求だけでよければ、問題をもっと前の方へ押進めて展開することは、私にも出来たのだが、私の胸の中に在る一人の作家としての責任と言ったようなものが、私をしてそうさせなかった。そうする事は、何かに対する根本的な不誠実と傲慢さであるような気がした。ばかりでなく、そんな事をすると私自身がひっくり返り、自分が自分に恥じなければならぬような気がした。つまり、私が私に忠実であるためには、私は唯単に言葉の上だけの、又、理論の上だけでの答えを見出すことを自分に許せなかったのである。
にもかかわらず、この作品を書いている間も、書きあげて読み返しても、たえず私が感じたものは、ここに取り上げた諸人物を通して日本人と言うもの全体が持っている、ほとんど「偉大」と言ってもさしつかえのない、すぐれた本質である。そういう意味では、結局私はこの作品を書く事によって私なりの答えを見出した事になるのかも知れない。又、そういう意味で、これを読んでくれた人の中の多数の人々が言ってくれたように暗い作品であるとは、私自身は思っていない。
底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
1968(昭和43
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