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   七月十九日[#地から3字上げ]夏目金之助
     高浜清様
      ○
明治三十九年八月三日(端書)
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 拝啓 碧梧桐の送別会へはついに出られず失敬致候。文学士|森田白楊《もりたはくよう》なるものあり。小生の教えた男なるが今度作文の本を作るとかにて『墨汁一滴』のなかを二、三滴、君の文を一篇、僕の「猫」を一頁ほどもらいたいと申してきたり。どうか承諾してやって下さい。寒月来って今度の「猫」を攻撃し森田白楊これに和す。漱石これに降る。ただ今『新小説』の奴を執筆中あつくてかけまへん。艸々の頓首。
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   八月三日[#地から3字上げ]金奴
     虚子庵二階下
      ○
明治三十九年八月十日(葉書)
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 先刻はありがとう存じます。その節の馬の鈴と馬子唄の句は、
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春風や惟然《いねん》が耳に馬の鈴
馬子唄や白髪《しらが》も染めでくるゝ春
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と致し候。やはり同程度ですか。
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[#地から3字上げ]夏目金之助
     高浜清様
      ○
明治三十九年八月十一日(葉書)
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 拝啓 昨日の駄句「花嫁の馬で越ゆるや山桜」を、「花の頃を越えてかしこし馬に嫁」と致し候が御賛成下さい。これは几董《きとう》調です。前のと伯仲の間だと仰せられては落胆します。「御前《ごぜん》が馬鹿ならわたしも馬鹿だ、馬鹿と馬鹿なら喧嘩だよ。」今朝こういううたを作りました。この人生観を布衍《ふえん》していつか小説にかきたい。相手が馬鹿な真似をして切り込んでくると、賢人も已《やむ》を得ず馬鹿になって喧嘩をする。そこで社会が堕落する。馬鹿はなるほど社会の有毒分子だという事を人に教えるのが主意です。まず当分はこのうただけうたっています。小説にしたら『ホトトギス』へ上《あげ》ます。
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[#地から3字上げ]夏目金之助
     高浜清様
      ○
明治三十九年八月三十一日(封書)
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 先生驚きましたね。僕の第三女が赤痢の模様で今日大学病院に入院したという訳ですがね、ことによると交通遮断になるかも知れません。小供の病気を見ているのは僕自身の病気よりよほどつらい。しかも死ぬかも知れないとなるとどうも苦痛でたまらない。もしあの子が死んで一年か二年かしたら小説の材料になるかも知れぬが、傑作などは出来なくても小供が丈夫でいてくれる方が遥かによろしい。到底「草枕」の筆法では行きません。「猫」の代正に頂戴難有候。漠然会なるものが出来るよし出られればいいが。
『新小説』は出たが振仮名の妙癡奇林《みょうちきりん》なのには辟易しました。ふりがなはやはり本人がつけなくては駄目ですね。
 もう九月になる。講義は一頁もかいてない。『中央公論』は何をかいたものやら時間がなさそうだ。これで小供の病気がわるければ僕は何も出来ない。『中央公論』には飛んだ不義理が出来る。
 然し交通遮断はちょっと面白い。あまり人がきすぎて困るからたまには交通遮断をして見たいと思います。
 野間《のま》先生が「草枕」を評して明治文壇の最大傑作というて来ました。最大傑作は恐れ入ります。寧ろ最珍作と申す方が適当と思います。実際珍という事に於ては珍だろうと思います。
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   八月三十一日[#地から3字上げ]金
     虚子先生
      ○
明治三十九年九月三日(封書)
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 拝啓 御手紙ありがたく候。病人は存外よろしく候。この分にては一命だけはたすかる事と存候。ただ今の処交通遮断なれど好《いい》加減に出たり這入ったり致居り候。寅彦、「嵐」と題する短篇を送りこし候。例の如く筆を使わないうちに余情のある作物に候。十月分の『ホトトギス』に御掲載被下べくや。御郵送申上候。今日『中央公論』の末尾に小生らの作を読者に吹聴する所を観て急に『中央公論』へかくのがいやになり候。何ぼほめられるがいいと申してああいわれて一生懸命に十月号に書いてやろうという気にはなれなく候が如何。今度滝田に逢ったらあまり広告が商売的だと申してやろうと存候。以上。
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   九月二日夜[#地から3字上げ]金
     虚子庵
      ○
明治三十九年九月十一日(封書)
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 拝啓 来る二十六日の能に御招き被下難有奉深謝候。西洋人も定めてよろこぶ事と存候。もっとも通弁を仕るのは少々閉口に候。あの番組のうちで一つも見たものも読んだものもありません。橋口は兄の方ですか弟の方ですか。小児《こども》病気は日にまし快方。小生見舞に参り候えどもまだ一
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