規居士の通称)泳ごうや。」
「乱暴しちゃいけないよ。」子規居士は重ねて言う。
「かまうものか。血位が何ぞな。どうせ死ぬのじゃがな。」と非風君は言う。
 居士の病後のみを知って居る人は居士はあまり運動などはしなかった人のように思うであろうが、あれでなかなかそうでもなかったらしい。べースボールなどは第一高等学校のチャンピオンであったとかいう事だ。居士の肺を病んだのは余の面会する二、三年前の事であったので、余の逢った頃はもう一度|咯血《かっけつ》した後《の》ちであった。けれどもなお相当に蛮気があった。この時もたしか艪《ろ》を漕いだかと思う。ただ非風君ほど自暴《やけ》ではなかった。非風君の方が居士より三、四年後に発病したらしかったがその自暴のために非風君の方が先に死んだ。居士は自暴を起すような人ではなかった。
 同勢三、四人で一個の西瓜《すいか》を買って石手川へ涼みに行き、居士はある石崖の上に擲《な》げつけてそれを割り、その破片をヒヒヒヒと嬉しそうに笑いながら拾って食った事もあった。
 今の代議士|武市庫太《たけいちくらた》君の村居を訪うた事も覚えて居る。その同勢は子規、可全《かぜん》、碧梧桐の三君と余とであったかと思う。可全君というのは碧梧桐君の令兄である。
 これらは居士が大学在学中二、三度松山に帰省した間の片々たる記憶である。

    三

 居士の帰省中に、も一つこういう事があったのを思い出した。余は二階の六畳に寝転んで暑い西日をよけながら近松|世話浄瑠璃《せわじょうるり》や『しがらみ草紙』や『早稲田文学』や西鶴ものなどを乱読しているところに案内も何もなく段梯子《だんばしご》からニョキッと頭を出したのは居士であった。上に上って来るのを見ると袴を穿《は》いて風呂敷包みを脇に抱えて居る。居士が袴を穿いているのは珍らしいので「どうおしたのぞ。」と聞くと、
「喜安※[#「王+二点しんにょうの進」、第4水準2−81−2]太郎《きやすしんたろう》はお前知っといじょうが。あの男から講演を頼まれたので今それを遣って来たところよ。」
「そうかな。何を講演おしたのぞ。」
「文章談をしたのよ。」とそれから間もなくその風呂敷包を開いて一つの書物を取り出して見せたのは浪六《なみろく》の出世小説『三日月《みかづき》』であった。それから「内容は俗なものだけれど、文章は引締っていてなかなか旨《う
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