の一にも当らぬほどで二人の間にはむしろ不愉快な絶望的の沈黙が続いた。居士はもう自分の生命は二、三年ほかないものと覚悟した一つのあせりがもとになってじりじりと苛立《いらだ》っていた。二十三歳の快楽主義者であった余は、そういうせっぱ詰った苛立った心持には一致することが出来なかった。
「私《あし》は学問をする気はない。」と余は遂に断言した。これは極端な答であったかも知れぬがこう答えるより外に途がないほどその時の居士の詰問は鋭かった。が、また今日から考えて見ても此の答は正しい答であったと思う。余はたとい学問の興味が絶無でないまでも、生涯を通じて読書子ではないのである。余の弱味も強味も――もしそれがありとすれば――何れも此の非読書主義の所に在る。
「それではお前と私《あし》とは目的が違う。今まで私のようにおなりとお前を責めたのが私の誤りであった。私はお前を自分の後継者として強うることは今日限り止める。つまり私は今後お前に対する忠告の権利も義務もないものになったのである。」
「升《のぼ》さんの好意に背くことは忍びん事であるけれども、自分の性行を曲げることは私《あし》には出来ない。つまり升さんの忠告を容《い》れてこれを実行する勇気は私にはないのである。」
もう二人共いうべき事はなかった。暮れやすい日が西に舂《うすづ》きはじめたので二人は淋しく立上った。居士の歩調は前よりも一層怪し気であった。
御院殿《ごいんでん》の坂下で余は居士に別れた。余は一人になってから一種名状し難い心持に閉されてとぼとぼと上野の山を歩いた。居士に見放されたという心細さはもとよりあった。が同時に束縛されておった縄が一時に弛《ゆる》んで五体が天地と一緒に広がったような心持がした。今一つは多年余を誨誡《かいかい》し指導する事の上に責任と興味とを持っていた居士に今日の最後の一言で絶望せしめたという事に就いて申訳のないような悔恨の情もこみ上げて来た。
居士が余に別れて独り根岸の家に帰って後ちの痛憤の情はその夜居士が戦地に在る飄亭君に送った書面によって明白である。その書面の結末に次の文句がある。
「今まででも必死なり。されども小生は孤立すると同時にいよいよ自立の心つよくなれり。」
かくして居士はいよいよあせりいよいよいら立ち一方に病魔と悪戦しつつ文学界に奮闘を試みたのであった。
十一
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