者がなければ空になってしまう。御承知の通り自分には子供がない。親戚に子供は多いけれどそれは大方自分とは志を異にしている。そこでお前は迷惑か知らぬけれど、自分はお前を後継者と心に極めて居る。が、どうも学校退学後のお前の容子を見ると少しも落着きがない。それもよく見ておるとお前一人の時はそれほどでもないが秉公――碧梧桐――と一緒になるとたちまち駄目になってしまうように思う。どちらが悪いという事もあるまいが、要するに二人一緒になるという事がいけないのである。それでこれからは断じて別居をして、静かに学問をする工夫をおし。出来ない人ならば私《あし》は初めから勧めはしない。遣れば出来る人だと思うからいうのである。」
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 こんな意味の事であった。余はこの日かく改まった委嘱《いしょく》を受けようとは予期しなかったので、少し面食《めんくら》いながらも、謹んでその話を聴いていた。かくの如き委嘱は余に取って少なからざる光栄と感じながらも、果して余にそれに背かぬような仕事が出来るかどうか。余は寧ろ此の話を聴きながら身に余る重い負担を双肩に荷わされたような窮屈さを感じないわけには行かなかった。けれどもこの時の余は、截然《せつぜん》としてその委託を謝絶するほどの勇気もなかった。余はただぼんやりとそれを聴きながらただ点頭《うなず》いていた。
 その夜は蚊帳《かや》の中に這入《はい》ってからも居士は興奮していて容易に眠むれそうにもなかった。当日の居士の句に、
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蚊帳に入りて眠むがる人の別れかな
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とかいうのがあったかと思う。余は蚊帳に入ると殆ど居士の話も耳に入らぬように睡ってしまった。
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 須磨にて虚子の東帰を送る
贈るべき扇も持たずうき別れ  子規
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 余は此の句に送られて東《ひがし》に帰った。
 居士の保養院に於ける言葉はその後余の心の重荷であった。そこで余は帰東早々これを碧梧桐君に話し、早稲田専門学校に坪内先生のセークスピヤの講義を聴くことをも一つの目的として高田馬場のある家に寓居を卜した。此の家はもと死んだ古白君の長く仮寓していた家であったという事が余をしてこの家を卜せしむるに至った主な原因であった。
 専門学校の入学試験は容易であったが、不幸にして坪内先生の講義はセークスピヤ
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