たる小杉天外君が初めて「蝶ちゃん」(?)という小説を『小日本』に連載。これが天外君の初舞台?。
子規居士既作の処女作「月の都」を『小日本』紙上に連載、続いて「一日物語《いちにちものがたり》」その他を連載。
『小日本』紙上にて俳句を募集。その応募者のうちに把栗《はりつ》、墨水《ぼくすい》、波静《はせい》、梅龕《ばいがん》、俎堂《そどう》等の名を見出した事。
等。
さて句会は月に一会以上諸処に催おされて、その出席者は居士、鳴雪、飄亭、非風、古白、牛伴《ぎゅうはん》(為山)、松宇、桃雨、猿男《さるお》、得中《とくちゅう》、五洲、洒竹、紫影《しえい》、爛腸《らんちょう》(嶺雲)、肋骨《ろっこつ》、木同《もくどう》、露月、把栗、墨水、波静、虚子らの顔触《かおぶれ》であったかと記憶して居る。この中《うち》にはまだこの頃は面《かお》を出さず、『小日本』廃刊後になって初めて出席した人が誤って這入《はい》っているかも知れぬ。
居士も飄亭君も殆ど全力を上げて『小日本』に尽していた。何にせよ記者はこの二人を中心にして他に二、三人あるかないか位なのだからその骨折というものは一通りではなかったようである。別に外交記者も置いてなかったので、通信種を引延ばせて面白くするのが専ら飄亭君らの役目であったらしく記憶して居る。例えば何月何日に雷《らい》が鳴って何とかいう家におっこちたという通信種を、その家の天水桶に落雷して孑孑《ぼうふり》が驚いたという風に書いて、その孑孑の驚いたという事が社中一同大得意であったかと記憶する。
居士は朝起きると俳句分類に一時間ばかりを費し、朝寝坊であったから間もなく出社、夕刻、ある時は夜に入り帰宅。床の中に這入ってから翌日の小説執筆、十一時、十二時に至りて眼《ねむ》るというような段取りであった。そうしてこの床の中に這入ってからの小説執筆が遂に余の役目になって、居士の口授を余は睡魔を抑えつつ筆記しなければならぬ事になった。余は一方《ひとかた》ならず此の筆記に悩まされたものだ。「一日物語」はこの床の中での製作である。
「不折という男は面白い男だ。」と居士は口癖のようによく言っていた。「お前も逢って御覧、画の話を聞くと有益な事が多い、俳句に就いての我らの意見とよく似て居る。」
『小日本』紙上には不折君の画に居士の賛《さん》をしたものが沢山に出た。
石井露月君が初めて入
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