光ったと同時に鳴りはためく音が聞こえた。それは光ると同時に聞こえたのであるから余程近くであろうと想像したが、併しその音はあつぼったいものを隔てて聞くようであった。この鉄骨のビルデングでは雨風の音が聞こえぬばかりか雷霆《らいてい》の響きさえそれ程に響かない。併し雨風が止んでいるどころか一層猛威をたくましくしていることは漸くこの雷霆のはためきで想像された。
蝶
丸ビルにいると、自然現象にはうとうとしくなる。雨が降り雪が降ること位は、窓ガラスを透しても知れぬことはない。併しそれとても十分にわからぬ時がある。(私の室から中庭ばかりを眺むるようになっているのである。)雨は降っていないと心得て表に出ると、ポチポチと落ちている事がある。
その他雷霆のひらめく時位は漸くわかる。
夕焼けの雲が赤くなっているのは、九階(精養軒のある所)の屋根の上の僅かの空でそれと知る。
従って詩的材料には余りぶっつからない。
鳥さえ余り眼に入らない。
時には飛行機が飛ぶ。その爆音が聞こえるので窓に首を出して見ると、大空近く飛行機の飛んでいるのが見える。
時には飛行船も来ることがある。魚とも鳥ともつかぬようなものが、すぐ丸ビルの屋根の上近くを過ぎていることがある。
蚤《のみ》もおらぬ、蚊もおらぬ。併したまには蠅が一匹いることがある。七階の上層に蚊は飛んで来ないが、蠅は下界から飛んで来たのであろうか。地下室の食堂の野菜の洗場がここから見える。何だかきたなそうな模様であるが、あの辺から蠅が天上して来るのか。それとも人の背にとまってここまで来たものか。尤《もっと》もそれも長くはいない。一日二日居ってもう居なくなる。
鼠がいたのに驚かされた。それは私の部屋では無い。八階に用事があって七階の階段を上っていると、瓦斯《ガス》の鉄管の後ろの方に、隠れ顔に大きな鼠がいた。すべて白く塗ってある鉄の壁の中にどうして隠れ場所が見つかろう。かれはまご/\してその鉄管のかたわらを上ったり下ったりして、途方に暮れている容子《ようす》であった。私は珍しくて暫く眺めていたが、鼠も長い尾を上げたり下げたりして、私の方を眺めているばかりで、果てしが無いのでそのまま八階に上って行った。
一階の森永の男が三、四人表に出て、頻《しき》りに大地をぶっているので何事かと見たら、鼠とりにはいっている鼠をそれから出して逃
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