の会社や事務所で占領して、ほかとは全然区別していなければ通用しなかった。これは大冠木門《おおかぶきもん》を有し高い土壁をめぐらした昔の士族の習慣が抜けなかったためであろう。それが大正三年に二十一号館が出来るようになって、はじめてアパートメント式になり、つづいて大正六年に海上ビルデングが出来て更に発達した。
 大正十二年、丸の内ビルデング即ち丸ビルが出来て、この丸の内の空気に一大変革をもたらした。
 丸ビルの食堂、売店には沢山の女給、女事務員がおる。それ等には美人が多いとの事であるが私は詳しくは知らぬ。ただ夏になると、六階、七階、八階の洗面所が中庭を隔てて私の部屋から見える。その洗面所には鏡が連《つら》なってかかっている。その鏡の前にはそれ等の女群の一隊が列をなしている。そうして厚ぼったく塗った白粉《おしろい》の上に更に白粉を塗っている。周囲には頓著《とんちゃく》なく魂は鏡の中に打ち込んで、いつまでも/\塗っている。中には肌をぬいで襟首を塗り立てているものもある。中庭を隔てて遙かに眺めるわれ等の眼にはいずれもただ白く美しい人である。成程美人が多いわいと合点《がってん》する。
 熱湯がほしければ湯沸場に取りに行く。お化粧がしたければ洗面所に行く。すべてが公開で何の障壁もない。
 夜になると、各階の窓には明るく火がともる。これは丸ビルばかりではない。郵船、海上その他のビルデングもその通りである。三十年前ただ真暗な原っぱであった所が今は灯火の海である。

    雨

 雨風の烈しい時は、東京駅から丸ビルに行くまでが大変である。大きな建物がある間を風は吹く。殊に東京駅にぶっつかった風は渦巻きを起こして、どちらの方向から吹くのか、見極めがつかなくなる。されば、雨風の烈しかった後では、途上に雨傘の破れたのが打っちゃってあるのを見る事が屡々《しばしば》である。僅《わず》か東京駅から丸ビルまでの途上に、四つも五つも打っちゃられた雨傘があるのを見た事がある。
 雨の日にはカラコロ/\と石段を駆け上り駆け下りるわが高下駄党の多いことは格別である。なくなった高橋駅長が、『あのカラコロカラコロには困る。』とかいったという話を聞いたことがあるが、困ったところで泥濘《ぬかるみ》が往来に存在している間は仕方がない。和服が全廃されない限りは仕方が無い。私は少々な雨なら雪駄《せった》で辛抱するが、大
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