にあるものは、何にかたどったものか知らぬがただ面白い。私の眼には意味が無く面白い。又度々引合いに出すが帝劇の屋根は翁の像のあった時代がよい。何故に震災後あれを撤去したのであろう。震火災に破損したためであろうが、何故に復旧して建てないのであろう。西洋建物にああいったものは不調和だという議論があっての事か。それなら第一あの舞台で在来の歌舞伎劇をやるのがおかしいという事になる。あの舞台に花道がとりつけてあるのがおかしいという事になる。第一在来の役者が演戯するのがおかしいという事になる。内部に平気でそれ等のものを採用して置いて、外部に翁の像だけがおかしいというのは頗《すこぶ》る不合理なことである。建築の上にもどし/\斯《かか》る大胆な試みを敢てして、単調を破るべきである。折角丸の内に建ち並んでいる屋根のうちで異彩を放っていたものを、一朝にして取り除いたことは誠に残念な事である。
 上野から電車で来るにしても、西も東も見る限りバラック建の中を通って来て、突として丸の内に入ると、はじめて宏壮な建物を迎えて、何となく愉快な感じがするであろう。(宏壮な建物が櫛比《しっぴ》してあるといい度いが、場所によるとそれ程にはいかぬ。上野からはいって来た方面はむしろ歯が抜けたように立っているという方が適切である。)
 プラットホームに立って、顧みて日本橋、京橋方面を見ると、そこにも三越や、三井銀行や、日本銀行や、千代田ビルデングや、第一相互保険ビルデングやが、バラックの中に棒杭のように突っ立ているのが見える。遠からずそれ等の高層建築は垣の如く建ち並んで、わが東京もやがては欧米の都市を見るようになるであろう。丸の内に少しばかり建ち並んでいる建築を珍しそうにいうのも、今暫くの間であろう。
 今遠く永田町に建っている議事堂の鉄骨を眺めると、何となく心強いような感じがする。
 現在の東京はまだ震災のあとがまざ/\と残っていて、それ等の建築も上京して来た旅人の心を楽しまするには足らぬであろう。けれども汽車が東京駅に近づくに従って、その汽車に或は後《おく》れ或は先立ち、併行して突進んでいる幾多の電車が、悉《ことごと》く溢れるような人を満載していて、それ等の人は、東京駅に著くと、一時に川を決したように流れ出る容子《ようす》を見ては、たのもしい心を起さずには置くまい。それ等の人の個々の力はやがて新東京を建設す
前へ 次へ
全25ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング