入りやすい金は出やすいもんだよ。まして月々におくるという金は、なかなかのこっちゃない」
 あがりがまちのむこうには、荷馬車稼業の父親が、この春仕事さきで大怪我をしてからというもの、ねたきりでいたし、そばにはまだ乳のみ児の妹がねかしてあった。母親にすれば、倅の室の隅においている小さい本箱と、ちかごろときどき東京からくる手紙がいちばん気になるのであった。
「――ドイツのね、ヨゼフ・ディーツゲンという人は、やっぱり皮なめし工という、手工業労働者だったんだ」
 しばらくだまっていた倅《せがれ》が、とつぜんそんなこといいだすと、母親は手をやめて、きょとんとした。
「――いえさ、おれのような職人だったんだが、マルクスと一緒にドイツ革命に参加したり、哲学書をかいたり、非常にえらい人だったそうだ」
 母親は、それで見当がついた風で、
「すると、やっぱりシャカイシュギかい?」
 などという。――
 三吉は、ときどき、そのディーツゲンをおもいうかべることで、自分に勇気づけていた。マルクスやエンゲルスとは別個に唯物弁証法的哲学をうちたてたという偉大なドイツの労働者についてくわしくは知らなかったけれど、感じさせた。それはきよらかで、芸術的でさえある気がしていた。ディーツゲンのようにえらくはないにしても、地方にいて、何の誰べぇとも知られず、生涯をささげるということは美《うつ》くしい気がした。そしてこの竹びしゃく作りなら、熊本の警察がいくら朝晩にやってこようと、くびになる怖《おそ》れがなかった。
「しかし、彼女は竹びしゃく作りの女房になってくれるだろうか?」
 そして、またそこへくると、三吉はギクリとする。鼻がたかくて、すこし頭髪のあかい、ひびくわらい声の彼女を、自分のそばのむしろに坐《すわ》らせてみることが、いかにも困難であった。パラソルをみたときのように、家のなかへとびこみたい気がする。しかし、しかし――とボト、ボトと汗を落しながら三吉は思う。彼女は理解してくれるんじゃないだろうか? 三吉はかつて彼女を「ぱっぱ女学生」などと一度も考えたことがないように、こっちが清らかでさえあれば、願いが通じるような気がする――。
「ときにな――」
 竹くずのなかにうずまって、母親は母親でさっきから考えていたらしく、きせるたばこを一服つけながら、いった。
「こないだの、あれな」
「あれって、何だよ」
 ちか
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