みても私は板澤説に加擔したい。ましてや三谷氏の本木傳にみる、青木昆陽が長崎を訪れて良固らと洋書解禁のことを圖つた云々は、素人の私も信じないところである。しかしながら板澤氏自身も同書で認めてゐるやうに、當時の和蘭通詞らがいかに蘭文學に暗かつたか、例へば、切支丹本の密輸さへ書物を見ながら指摘し得なかつたと與げてゐるごとくであるし、「日本囘想録」による甲比丹ヅーフの通詞らの蘭語に對する所見もまた同樣である。
 つまり私の信じたいことはかうである。西、吉雄、本木の蘭書讀譯の免許云々は洋學年表説の如くではなかつたか知れぬ。しかし當時の通詞らの蘭文學への暗さは、後に見るやうに通詞制度が産んだ卑屈な一般的性格にも由來する向學心の乏しさにもあらうし、洋書禁制ではなかつたにしても、口辯の通譯を以て足れりとする、「鼻紙に片假名で發音を書きとつた」といふ式の通譯で足れりとしたもののうちには、單に通詞らの卑屈さのみでなく、それをよしとするところの幕府の方針といつたものがあつたのではなからうか? もちろんそれは通詞といふ職制度と一見矛盾する。しかし家光鎖國の方針と貿易とが矛盾するやうに、そこに確然たる禁制の掟は
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