名印刷及び紙代のことだらうか?
 しかし何と高價であつたらう。「海國兵談」全八册三百五十枚は、今日の九ポイント活字にすれば四六判で三百頁足らずと思はれる。しかも林子平を苦しめたのは、高價といふだけではなかつた。その何倍もの「せめても板刻の業のみも半年にして終らせ玉へかし、小子の生命計り難きが故に云々」といふ苦痛は、歸するところ木版彫刻、今日でいへば植字製版にあつたのだ。
「――一人にて彫る所紙一枚に大概一日半掛り也、海國兵談總紙數三百五十枚にて御座候得ば、一人にて是を彫候得ば元日より大晦日まで休みなしに彫候て九百日掛り申候、二人にて彫り候得ば四百五十日、四人にて彫候得ば二百二十五日掛り、八人にて彫候得ば一百十三日に彫終り申候――然るに小子無息清貧にて御座候得ば、工人を多く用ひる事不能候――」
 そして林子平はつひに彫師一人しか用ひることが出來なかつたし、「海國兵談」の板刻は一千六十日を費したのである。
 私は思ふ。これは近代活字發生前の貴重な文獻である。そしてこれはひとしく當時の學者たちの苦衷であつたらうし、子平の場合、この克明な口上書の裏には、印刷術の迂遠さに對する不滿が明らかに流れ
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