て洋行の資を得たらば如何」と。つまりこれが「サツマ辭書」刊行の動機であつて、當時開成所版の辭書(大福帳型)は十二三兩の値段だつたから、多量に増訂したら利益もあらうといふ譯である。以下意味だけ述べると、「本邦に活版印刷の業未だ起らず」愼吾の紹介で長崎の宣教師フエルベツキに逢ひ、フエルベツキまた上海の傳道印刷會社ガンブル商會を紹介して、出來拂ひの契約で印刷することとなつた。「サツマ辭書」はつまり開成所版の改訂版であるが、高橋がどれ程の造詣をこの辭書に傾けてゐるかは、私に判斷できない。とにかく高橋が上海に渡つたのは慶應三年で、間もなく大政奉還の御一新に遭ふや、一旦歸國したが、再び上海に渡り、明治三年の一月三百部が完成したといふ。
そして研堂氏の文は「あるとき前田正名翁筆者に語りて曰く」とつづいてゐる。前田献吉、正名の兩人もこの辭書計畫の關係者で二人共に上海へ渡つた。「活版所は上海の某寺院であつて、支那人を使役してゐた。」文中印刷そのものに觸れたのはここだけであつて、片假名の種字がどうしてあつたか、嘉平の活字と由緒があるかどうかもさつぱりわからないが、讀んでゐるうち、私は思はず聲をたてた。
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