り」
 この文章は若干不親切で、繁多な器具遺品の模樣が、植字工であつた私にもちよつと理解しにくい。同文章はつづけていふ。「嘉平は二十五歳にして薩摩守樣の召すところとなり、當時齊彬公樣は歐文書類を版本としてあまねく御藩中に學ばしめんとの御尊慮によつてひそかに嘉平に御洩談あらせらる――」。
 島津齊彬がひそかに輸入した蘭書を藩士一統に讀ませて、夷狄の新知識をわがものとせんとした英斷はよくわかるが、飜譯のできる學者も澤山あつた當時に於て、蘭書をそのままの蘭文で、しかも歐文活字を創成させてまで刊行しようとした意圖は、どういふのであつたらうか? あはせて藩士の語學力を強化せんとしたのだらうか? それとも幕末當時の、蒸汽船を作るにも、大砲を作るにも、雄藩同志が鎬をけづる競爭のいきほひであつたから、祕密を守るために歐文としたのだらうか? しかし私は考へる。いやいやさうではあるまい。尠くともそれだけではあるまい。何よりも大きな理由は、歐文ならばアルハベツト二十六文字の字母創成で、萬事が足りるといふこと。島津齊彬も木村嘉平も、まづは捷徑を選んだのではなからうか※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
「しかし
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