から、末段のエレキトルの處丈け寫さう。一同筆紙墨の用意して惣掛りだ』――」(前掲九一―九二頁)さて、「惣掛り」といつたところで、筑前侯の大切な書物をこはすことは出來ないから、一人が讀み、一人が書く。讀み手が少しでも疲勞すれば次が代り、書き手の筆が微塵でも鈍れば控への者がすぐ交代する。疲れた者から眠り、眼をさました者から交代して、晝夜の差別がない二日間の模樣は「福翁自傳」のうちでも最も感激的なくだりであるが、「――先生の話に、黒田侯は此一册を八十兩で買取られたと聞て、貧書生等は唯驚くのみ。固より自分で買ふと云ふ野心も起りはしない。愈よ今夕、侯の御出立と定まり、私共は其原書を撫くり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]し、誠に親に暇乞をするやうに別を惜んで還した――」と云ふ。八十兩といふ値段はたぶん和蘭船が日本人に賣渡した最初の値段ではあるまいが、そのへんにも「貧書生」らの苦しみがあつたわけで、しかしその「貧書生」らこそ「――それから後は塾中にエレキトルの説が面目を新にして、當時の日本國中最上の點に達して居た――」と申して憚らなかつたのであらう。
考へてみれば、活字板摺立係の昌造が「
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