炭を積んできて出發直前に補給したといふ事實があるから、この手紙は下田出發の直前に出されたものと推察することが出來る。六月二十八日の下田退帆だから、飜譯出來るまで一ヶ月餘を費してゐることになるので、この私的な一書翰の取扱についても、いろいろと當時の事情を推察できる氣がする。
榮之助が自分宛の手紙を他人によつて飜譯される以前に讀んだかどうか? 別送の「状紙」が榮之助の手に渡つたかどうか? また榮之助がポートマン書面のごとく昌造へ「傳聲」したかどうか? ましてや「状紙」が昌造にもわけられたかどうか? 私にはまるでわからない。「状紙」とは歐文を書くのに適當な西洋便箋のことにちがひなく、榮之助が蘭語のほか英佛語にも長じてゐたことは前に述べた通り、また昌造も祖父庄左衞門以來、長崎通詞中で英語の家柄であつたから、多少の程は知らず、出來たにちがひない。
しかし恐らくこの書翰は公文として公儀に止めおかれたらうし、榮之助も昌造も、その「状紙」によつてポートマンと書翰の往復はしなかつたであらう。條約は成立したが、まだまだそんな空氣でなかつたことは前にみたとほりだ。「――兼て御約諾致し置候通、追々御安否御
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