「得十郎」となつてをり、日本側の記録をさがしても、ペルリ側の記録にみても、昌造はほとんど表だつて出て來ない。ペルリの「日本遠征記」もゴンチヤロフの「日本渡航記」と同樣、日本側の記録にくらべて、通詞らにある親しみをもつて書いてをり、「榮之助」は勿論、「五八郎」も「得十郎」も、「達之助」も、「林大學」や「井戸對馬守」のそれと同樣に、それぞれ見事な肖像を掲げてゐる。
それぞれ大小を前半にして、やや袋じみた袴を穿き、緒の太い草履を穿いてゐる。主席通譯の榮之助は、四十未滿のはたらき盛り、禿げあがつた月代の廣さと、癖ありげな太い鼻柱、左の肩をおとして口許に薄笑ひを泛べてゐるところ、いかにも自信ありげで、ゴンチヤロフが描寫した「彼は川路つきの通詞であつたから、交渉のうちでも最も重要な部分を通譯してゐた。彼は思ひ上つて他の全權達の話は殆んど聞いてもゐなかつた。――彼は放蕩も嫌ひな方ではなかつた。――ある時は、中村の前でシヤンパンを四杯飮んで、ひどく醉つ拂つて、人の云ふことを通譯しないで、自分勝手に話をきめようとする――」といふやうな風貌が、同時にゴンチヤロフが他の個所で、その果敢な進取性と才能とに惚
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