れに、前者は堀達之助と、後者は森山榮之助と共に署名捺印してゐること。他の一つは七月二十九日付飜譯のペルリの通譯官ポートマンより森山榮之助へ宛てた私的書翰のうちに昌造について觸れてある文章であつて、現在の私の力ではそれ以上を知ることが出來ない。
昌造が長崎より神奈川の横濱村に參着したのは、「長崎談判」が終つて御用濟となつた正月五日から、神奈川條約文の飜譯をした三月三日の間であることはたしかであるが、「明治維新史料第二篇卷ノ三」に、二月一日付の「村垣公務日記」として「一、長崎通詞森山榮之助、昨夕着、今日、神奈川へ被遣候」とあるから、たぶんそれと一行したか、その前後であつたと考へることが出來る。それからいつごろまで横濱村に滯在したか? 前記五月二十五日付の飜譯文があるので、恐らくペルリ一行が箱館から下田へ歸つて、琉球那覇港へむかつた六月二十八日頃までではなからうか? 七月の初旬には「吉田東洋傳」の寺崎志齋[#「寺崎志齋」はママ]日記にみえるごとく、江戸築地の土佐侯造船場にゐたことが明らかだからである。
ついでに昌造の安政二年までの動靜をいふと、元年九月には安治川尻にあらはれた魯艦について
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