此節之胸中は都下にて何程深く御推察被下候とも、其上幾層倍に可有之哉と奉存候――」
 文中の「榮之助」は大通詞森山榮之助で、彼は「長崎談判」が終るや、長崎から江戸まで早駕籠をもつて參着、二月一日付で神奈川へ差遣されたのであるが、この林、井戸の書翰にみても、ロシヤとの振合で「榮之助抔も殊之外心配」したといふからには、齊昭の「通信通商を許さず」の方針は決定しても、やはり大勢はある程度の讓歩を事前に覺悟してゐたものだらうか。
 二月十日は周知のごとく歴史的な日米會見日である。この日第一の議題はアメリカ捕鯨船その他漂民の取扱の緩和方であつて、雙方「人命を重んずる」建前に異議はなかつた。「通商」の申出には「如何にも交易之儀は有無を通し候事故、國益にも可相成候得共、元來日本國は自國之産物にて自ら足り候て、外國之品物無之候共、少しも事缺候儀は無之候――」と拒絶したが、漂民の取扱を改善し、缺乏品を定められた港で賣り與へるといふことを正式に約定すること自體が、新らしい大事實であつた。從來も長崎港では漂民、漂船に缺乏品を與へたことは澤山例があるけれど、それは天保十三年の「異國船打拂改正令」にもいふごとく「御
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