て、齊昭より「――墨夷及狼藉候迚も、何も御府内町人等へ爲知候には及不申、武家さへ心得候へばよろしき儀――その外は却て火元盜賊の用心、やはり其宅々を守り候方可然――」と叱られた程である。
しかし二月七日に浦賀奉行組頭黒川嘉兵衞は、アメリカ軍艦に參謀アーダムスを訪れて、應接所を横濱に設けたからと申入れた際、「承知仕候――乍序御談話に及候、此節相願候一件御承引不被下候はば、不得止直に戰爭を可致用意に候、若し戰爭に相成候得ば、近海に軍艦五十隻は留め有之、尚又カリホルニヤにも五十隻用意致し置候間、早速申し遣し候得ば、廿日の程には百隻の大艦相集り候云々」とおどかされたのであつた。まつたく不埓至極であるが、このおどかしは黒川嘉兵衞がたとひ勇武の人間ではあつても、まつたくヨーロツパ文明にくらいとすれば、何程にかは利きめあることだつたらう。
「――夷情察し難く、日夜苦心仕候事に御座候――阿蘭陀人、魯西亞人抔之樣に氣永には無之、至つて短氣強暴之性質故、義理を以て説破候ても、元より仁義忠孝之倫理は心得不申候――」と、アメリカ應接係たちも老中宛の書翰に書いた。やつと長崎を退帆させたばかりのロシヤへの振合も考
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