であつた。オランダ東印度會社はジヤワ、バタビヤに根據をおいた。イギリス東印度會社は印度とシンガポールに根據をおいた。露米會社はオホツクに根據をおいた。前二者は十七世紀初頭、秀吉時代に既に東漸しはじめてゐたのである。そしてどの會社もその本國政府に許されて、貿易、植民、産業開發、軍事に及ぶ同じやうな權能をもつて、互ひに相爭ひあつてゐた。葡の、西の、佛のそれらを考へると、それは間斷ない侵略と戰爭の連續であることを歴史は教へてゐる。
しかしまたそれは同時に近代文化・ヨーロツパ文明の放散でもあつた。ジヨホール王から掠めとつてシンガポールを建設したラツフルズはイギリス第一の東洋通であり學者であつた。オランダ國旗を唯一つ日本長崎で護り通し祖國の歴史を辱しめなかつた甲比丹ヅーフは、日本へ對するヨーロツパの理解を深めた第一の人であり、同じく日蘭貿易關係を改善して東洋におけるオランダの位置を強化したシーボルトはまた日本にとつて近代醫學の光を與へた人であり、ロシヤの版圖を北極圈まで伸張したシエリコフは、學校を建て文字と算術を教へ近代政治を與へて、カムチヤツカやアラスカ土人に不朽の光を與へた人であつた。私は
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