影響するところあつたか知れない。
しかし私の興味は三枚の長崎繪圖をとほして、沖合にかかつてゐる外國船の形の變遷にあつた。友人Kが慶應三年頃だと判斷する最後の一枚は、沖合の外國船の形がまるで變つてゐる。ナンキン船などどつかへすつこんでしまひ、二百餘年間長崎港の花形であつたオランダ船でさへ、隅の方にちひさくなつてゐる。ヱゲレス船、アメリカ船、オロシヤ船などが、それこそ港を壓してうかんでゐる。それに、これらの新來の船は圖體が巨きいばかりでなく、安永のそれに比べると怖ろしく長い。おまけに船の胴なかに巨大な車をつけてゐる。つまりこれらは蒸汽船である。まだ帆の力をまつたく無視してはゐないが、この奇怪な水車が、印度洋や太平洋の荒波をかきわけてきたのである。
安永のそれから天保のそれまで約六十年、天保のそれから慶應のそれまで約三十年、通じて約一世紀の、長崎港の沖合にかかる外國渡來の船の姿のうつりかはりは、誰にしろ海の日本の歴史を知りたい慾望をおこさせられるだらう。
日本の活字は昌造らによつて移植され、あるひは創造されたのであるが、一方からいふと、活字は船に乘つてきたものであつた。ドイツ人グウテン
前へ
次へ
全311ページ中103ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング