竹キネマ「子分の会」の尽力によってカメラに撮された。
 翌三十日、初七日の法事を午後二時から金谷山宝祥寺に営んだ。読経の後、遺族、近親、参会者、築地小劇場員の焼香があって、当日|出来《しゅったい》したデスマスクが発表された。午後三時半法事を終って、ここに小山内薫先生の築地小劇場葬は恙《つつが》なく終了した。

          *

 なお告別式当日、霊前に読み上げられた築地小劇場文芸部起草の追悼文は、左のとおりである。
     追悼文
 小山内薫先生
 築地小劇場は、先生の二十有余年にわたる劇壇生活の最後の活動であり、最後の業績でありました。創立以来四年有半、朝夕先生の謦咳《けいがい》に接して、厳父のごとく仰ぎ見、慈母のごとく慕っていたわれわれ八十人の同志は、にわかに先生の死に面して、愕然として為すところを知らなかったのであります。
 顧るに先生は、新鋭の気を負うて劇界に身を投ぜられて以来、常に時代の第一線に立って、創作に翻訳に演出に評論に不断の努力を重ね、日本演劇界の先覚者たる光輝ある使命を果されたのであります。その晩年築地小劇場に拠って後は、半生の間に蓄えられた該博な知識と豊
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