い人たちは推量したものである、『恋の闇路にふみ迷い、てなところだな。おかみさん、セルゲイとてっきりアレなんだが、まあそいだけのことさ。――なにもこちとらの知ったことじゃなし、因果はやがて、おかみさんの身に報いようというものさ。』
 そうこうするうちにセルゲイは全快して、しゃっきりしゃんと立ち直り、また元どおりの水も滴たらんばかりの若い衆ぶり――いや、いっそ手飼いの鷹とでもいいたいほどの英姿を、カテリーナ・リヴォーヴナの身辺にあらわしはじめて、またもや二人のあいだには愛慾ざんまいの日ごと夜ごとが再開したのだった。とはいえ、時はなにもこの二人のためにばかり、めぐっていたのではない。長らく家を留守にしていたまに、顔に泥をぬられた良人ジノーヴィー・ボリースィチも、このとき帰宅の道をいそいでいたのである。

      ※[#ローマ数字6、1−13−26]

 ひる飯のすんだあとは、焼けつくような炎暑だった。おまけに、すばしこい蠅がところ嫌わず張りついて、精も根もつきるばかり煩さかった。
 カテリーナ・リヴォーヴナは、寝間の窓の鎧戸をおろしただけでは気がすまず、そのうえ窓の内側に分厚な毛織りのショールを垂れ掛けて、食後の午睡をとるため、ちょっとした丘ほどの高さは優にありそうな商人のベッドに、セルゲイと共臥しに横たわった。横になってはみたものの、カテリーナ・リヴォーヴナは、うとうとしかけては、またはっと目がさめるといった調子で、夢ともうつつともさっぱり区切りがつかない。ただもう暑苦しくってたまらず、顔じゅう玉なす汗でべっとりの有様、それにつく息までが、燃えつきそうな息ぐるしさだった。もうそろそろ目をさましていい時分だ――と、カテリーナ・リヴォーヴナは心のなかで感じている。庭に出ていって、お茶を飲む時間だ――とは分っていながら、いつかな起きあがる気持になれない。とうとう仕舞いに、おさんどんが上ってきて、ドアをとんとん叩いて、『サモヴァルが、林檎の木のしたで、そろそろ燼《おき》になりますですよ』と催促する始末だった。カテリーナ・リヴォーヴナは、むりやりに上半身をぐるりと寝返らせると、すぐその手で猫をくすぐりはじめた。その猫というのは、おかみさんとセルゲイの間にのうのうと丸まっていたのだが、見るからに立派な、灰色の、大柄でむくむくと肥えふとった奴で、おまけにそのぴんとおっ立った髭ときたら、小作料を取り立てに歩く差配さんにそっくりだった。
 カテリーナ・リヴォーヴナが、猫のふかふかした毛並みに指をさし入れて、もぞつかせはじめると、相手はただもう無性に鼻づらをすり寄せてくるのだった。もっさりと気の利かない髭面を、むっちりした胸のふくらみへ押しこんできながら、何やら小声で鼻唄をうたいだす様子は、その唄がやがて恋のささやきででもあるかのようだった。――『おや、ぜんたいなんだって、こんな猫がはいって来たんだろう?』とカテリーナ・リヴォーヴナは考える、――『凝乳《クリーム》をあたし、あの窓わくのところに載っけといたっけが、てっきりこの野良猫め、あれを狙っているんだわ。よおし、追い出しちまおう』と、彼女は思いさだめて、その猫をつかまえて抛りだそうとしたが、とたんに相手はまるで霞みたいにするりと指のあいだをすり抜けてしまうのだった。――『それにしても一たいどこから、この猫の奴はいり込んだんだろう?』と、悪夢のなかでカテリーナ・リヴォーヴナは思案をつづける、――『あたしたちの寝室には、ついぞ猫なんかいたためしはなかったのにさ。よりによってええ畜生、とんだどら猫が舞いこんだものだよ!』そう思って、またも片手で猫をつかまえようとするが、ふたたび相手は影も形もない。――『おや、これは一たい何ごとだろう。冗談じゃないよ、あいつ一たい猫かしら?』と、カテリーナ・リヴォーヴナは、ふとそう思った途端に、ぞおっと総毛だたんばかりの恐怖が身うちを突っぱしって、夢魔も睡魔も一ぺんに消しとんでしまった。カテリーナ・リヴォーヴナは、ぐるりと部屋のなかを見まわした。――猫なんぞいはしなかった。美男のセルゲイが寝ていて、その逞ましい片手でもって彼女の胸を、じぶんの火照った顔へ押しつけているだけである。
 カテリーナ・リヴォーヴナは起きあがると、寝床に横坐りになって、セルゲイを接吻ぜめにした、愛撫ぜめにした。やがて、もみくちゃになった羽根ぶとんの皺を直すと、ひとりで庭へお茶をのみに下りていった。太陽はもうすっかり傾いていて、かっかと熱しきった大地には、えもいわれぬ蕩《とろ》かすような暮色が、ようやく垂れこめようとしていた。
「寝坊しちゃったわえ」と、カテリーナ・リヴォーヴナは、アクシーニヤに話しかけて、花ざかりのの林檎の木の下に敷かれた毛氈に坐りこみ、お茶をのみにかかった。――「けどねえ、ア
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