ヤの味気なさ、商家の昼の辛気くささで、いっそ首でもくくった方がましだと、下世話にもいうあれである。カテリーナ・イヴォーヴナは読書の趣味がなかったし、それにだいいち本というしろものが、キーエフ聖者伝一冊のほかには、家じゅうどこを捜したって見つからない始末なのである。
カテリーナ・リヴォーヴナが、裕福な舅の家で、不愛想な良人につれそって、五年という年つきを送った明け暮れは、ざっと以上のようなわびしいものだった。かといって誰一人、そうした彼女のわびしさに、些かたりとも注意を向ける者のなかったことも、これまた浮世のならいにはちがいなかった。
※[#ローマ数字2、1−13−22]
カテリーナ・リヴォーヴナが嫁に来て六度目の春のこと、イズマイロフ家の持っている製粉所の堤が決潰した。折も折、まるでわざと狙ったように、製粉所は仕事で満腹のていだったし、おまけに決潰の個所が案外に大きくて、修理もなかなかはかが行かなかった。水かさは、空っぽになった放水溝の土台をさえ下※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る始末で、その水かさを手っとり早く上げようと色々苦心はしてみたが、いつかな成功しなかった。ジノーヴィー・ボリースィチは近隣の在所の人手をのこらず製粉所へ駆りだして、自分も夜ひるわかたず現場に附きっきりだった。町の方の仕事はすっかり老人ひとりで切り盛りすることになって、カテリーナ・リヴォーヴナは来る日も来る日も日がな一日、独りぼっちの味気なさをかこつことになった。はじめのうち彼女には、良人のいないのがいささか手持ぶさたに思われたけど、やがて結句その方がましなような気がしてきた。ひとりの方が気楽になったのである。もともと大して恋しいほどの相手ではなし、おまけに良人が留守なら留守で、とにかく御目付け役が一人がた減ろうというものである。
ある日カテリーナ・リヴォーヴナは、例の屋根裏の小窓のそばに陣どって、これといって物を考えるでもなく、さかんにあくびを連発していたが、やがての果てにあくびをするのが吾ながら恥ずかしくなった。おもてはなんとも言えぬ上天気だった。ぽかぽかして、明るくって、陽気で、――庭の緑いろに塗った柵のすきからは、小鳥が嬉々として枝から枝へ樹から樹へ、とび移っているすがたが見てとられた。
『ほんとに、なんだってまあこう、あくびばかし出るんだろうねえ?』と
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