にぶん貧乏人の娘であってみれば、婿がねの選り好みをするわけにも行かなかったのである。イズマイロフの店といえば、われわれの町でもまず中《ちゅう》どころで、極上のメリケン粉を商ない、郡部にある大きな製粉所を一つ賃貸しにしてその手に握り、なおその上に郊外にはなかなか実入りのいい果物ばたけもある、市内には立派な貸家の一つもある、といった身上《しんしょ》だった。商家としてはまずもって裕福な方である。おまけに家族が至って小人数で。舅のボリース・チモフェーイチ・イズマイロフはもう八十ちかい老人、だいぶ前からやもめになっている。息子のジノーヴィー・ボリースィチは、つまりカテリーナ・リヴォーヴナの亭主で、これまた五十を越した年配。それに当のカテリーナ・リヴォーヴナと、たったこの三人だけである。ジノーヴィー・ボリースィチに嫁いでそろそろ五年になるが、カテリーナ・リヴォーヴナには子供がなかった。ジノーヴィー・ボリースィチも、はじめの細君と二十年ほど連れ添ったあげくに、やもめになってカテリーナ・リヴォーヴナを迎えた次第だったが、やっぱり子供がなかった。せめて後添いからでも、屋号と資本の跡をとる子を授かれることだろうと、彼は考えもし期待もしたのだったが、カテリーナ・リヴォーヴナとのあいだにもやはり、子宝は授からなかったのである。
 子供のないということが、ジノーヴィー・ボリースィチには一方ならぬ悩みの種だった。いや、ジノーヴィー・ボリースィチだけではない。ボリース・チモフェーイチ老人にしても、いや当のカテリーナ・リヴォーヴナに至るまでが、口惜しくて口惜しくてならなかったのである。まず第一には、高い塀をめぐらし、鎖をはなした番犬どもに守られたこの用心堅固な商人の居城に、明け暮れ日をおくる侘びしさが、ふさぎの虫をこの商人の若妻の胸にうえつけたばかりか、時にはそれが狂乱の一歩手前にまで昂《こう》じることも、一度や二度ではなかったのだ。そんな時、ああ赤ん坊がほしい、ねんねこ唄をうたってやる赤ん坊がほしい――と思いつめる彼女の胸のなかは、神様だってご存じあるまいというものである。それにまたもう一つ、『なんだってわたしは、なんだってわたしは嫁になんぞ来たんだろう。生まず女《め》のくせに、なんだって臆面もなく、男一匹の運勢の邪魔だてをしに来たんだろう!』という、われとわが身を咎める内心の声が、二六時ちゅう
前へ 次へ
全62ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
レスコーフ ニコライ・セミョーノヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング