をかけられましたが、その扱いはまあ、上《うえ》つがたのお屋敷で若い乳母たちの受ける取締りに似ていました。老女衆がお目付役につけられて、その老女衆にはめいめい子供があります。そして万が一、わたしたちのうち誰かしらの身に何かあやまちが起ろうものなら最後、老女衆の子供たちが寄ってたかって、世にもむごい仕打ちに逢わせるのでした。」
 不義はお家の御法度とやらいう掟を破っていいのは、その掟を定めた当の「殿様」御自身だけだったのだ。

      ※[#ローマ数字5、1−13−25]

 リュボーフィ・オニーシモヴナは当時、娘ざかりの絶頂にあったばかりでなく、その多方面な才能の発達の上からいっても、最も興味ある時期にあたっていた。彼女は『名曲集《ポ・プリ》』の合唱にも加われば、『シナの菜園婦』では踊り子のリード役もつとめる。また悲劇役者の天分を感じていたので、「どんな役でも一目で[#「一目で」に傍点]呑みこみました」といった調子であった。
 そんな年ごろのこと、何年の何月とははっきり分らないが、とにかく陛下が行幸の途すがら、オリョールに立寄られたことがあった(それも、アレクサンドル・パーヴロヴィチ帝だったかニコライ・パーヴロヴィチ帝だったか、そこは分らない)。そしてオリョールで一泊ということになり、その晩はカミョンスキイ伯の劇場に臨御になるはずであった。
 そこで伯爵は土地の貴紳をのこらずその劇場に招待し(したがって座席券は売出されなかった)、極上きわめつきの出し物をすぐって上演した。リュボーフィ・オニーシモヴナは『名曲集』の合唱をやり、『シナの菜園婦』を踊ることになっていたところ、そこへ突然、最後の本稽古の最中に、書割りが倒れて、ある女優が脚に打撲傷を負った。その女優は『ド・ブールブラン公夫人』という芝居の主役を振られていた。
 わたしはそんな名前の役には、ついぞ何処でもお目にかかったことがないが、とにかくリュボーフィ・オニーシモヴナは確かにそう発音したのである。
 書割りを倒した大道具衆は、お仕置きのため馬屋へ閉じこめられ、負傷した女優はさっそく自分の小部屋へ運びこまれたが、さて肝腎のド・ブールブラン公夫人の役をやる女優が誰もいない。
「そこでね」と、リュボーフィ・オニーシモヴナは語る、――「わたしが買って出たのです。というのも、ド・ブールブラン公夫人が父君の足もとに身を投げて赦しを願い、髪を振りみだして死ぬところがわたしとても好きでしたから。しかもそのわたしの髪の毛というのが、ふしぎなくらい房々した亜麻色のでしてね、それをアルカージイは惚れ惚れするように見事に結いあげてくれたものでしたっけ。」
 伯爵は、この娘が思いもかけず大役を買って出たのを見てすこぶる満悦したが、その上に舞台監督までが「リューバなら大丈夫やります」と太鼓判をおすのを聞いて、こう答えた、――
「万一しくじったら、お前の背中へ鞭が飛ぶものと覚悟をせい。それはそうとこの娘には、わしの緑柱石の耳輪をとらせるがよい。」
 この『緑柱石の耳輪』というのは、彼女たちにとって嬉しくもあれば迷惑でもある拝領品であった。つまりそれが、ほんの束のま殿様の側妾《そばめ》の地位にのぼせられるという、格別の名誉を予言する最初のしるしだったからである。それを拝領するとまもなく、時にはすぐその日のうちにすら、その白羽の矢の立った娘を芝居のはねた後で「聖ツェツィリヤのごとき無垢な容子《ようす》に」仕立てよという命令が、アルカージイにくだるのが常だった。そして白無垢の衣裳に花冠をいただき、両手に百合の花を持たされて、この象徴化された純潔[#「純潔」に傍点]は、伯爵の奥の間へみちびかれるのであった。
「これはね」と、乳母は言うのだった、――「あんたの年ではまだ分らないことでしょうけれど、とにかく一ばん怖ろしいことなのでしたよ。とりわけ、わたしにとってはね。何しろわたしは、アルカージイを想っていたのですものね。わたしは思わず泣きだしました。耳輪を机の上へほうりだして、めそめそ泣くばかりで、その晩の芝居の役のことなんぞ、もう考えてみることもできない始末なのです。」

      ※[#ローマ数字6、1−13−26]

 さて、そうした因果な時にあたって、折も折、おなじく因果な別の難儀がアルカージイの身にもふりかかった。
 陛下に拝謁しようというので、伯爵の弟が草深い持村から出て来たが、それがまた兄貴に輪をかけた醜男《ぶおとこ》な上に、久しい間の田舎ぐらしで制服を着たこともなければ、ひげを剃ったこともない。なにしろ「顔じゅう一めん瘤々だらけ」の御面相だったからなので。ところが今度のような非常の場合になると、何はともあれ正装をして、頭のてっぺんから足の先まで熨斗を当て直し、型どおりの「軍人風」に仕上げる必要があった。
 何しろ仰山な註文だった。
 ――今じゃとても想像もつかないくらい、その頃は万事やかましゅうござんしてね(と、乳母は語るのだった。――)よろずにつけ形式万能でしたから、お偉がたには一々お顔はこうこう、おぐしはしかじかとちゃんと極りがあったものです。それがまた、ひどくお似合いでないお人もありましてね、型どおりの恰好におぐしを作って、前髪をつまんで立てたり鬢《びん》の毛を揃えたりすると、お顔のぜんたいがまるでお百姓のバラライカの絃が切れたみたいな様子になることもありました。お偉がたにしてみればそれが頭痛の種でしてね、ですからお顔の剃《あた》り方、おぐしの作り方が、それはそれは大事な役目だったわけです。――お顔のうえの頬ひげと口ひげの間にどんなふうに畦道《あぜみち》をつけるか、捲毛の巻き工合をどうするか、おぐしの櫛目をどう入れるか、そのやり方一つ、そのちょっとした呼吸ひとつで、お顔の表情ががらり変ってしまうんですものね。それでも文官のかたは(と、乳母は語りつづける)――まだしも楽でした。文官のかたにはさほど面倒な註文はなく、唯うやうやしく見えさえすれば事は済むのでしたが、武官になると註文がなかなかむずかしくて、上長の前では柔和さが第一、目下にたいしてはどこまでも毅々《たけだけ》しく、威高気に見えなければいけないのです。
 つまりそれは、かねがねアルカージイが伯爵のさっぱり見栄えのしないみっともない御面相に取って附ける妙を得ていた、当のものだったのです。

      ※[#ローマ数字7、1−13−27]

 田舎住まいの弟ぎみは、町住まいの兄ぎみよりも一段と醜男《ぶおとこ》でしたが、かてて加えて村里ぐらしのうちにすっかり「毛もくじゃら」になって、おまけに「つらの皮がごわごわ」になっていることに、自分でもさすがに気がついていたほどでしたけれど、さりとて誰ひとり顔をあたってくれる者がなかったのは、万事が万事しわんぼうな生まれつきだったので、お抱えの理髪師を年貢代りにモスクヴァへ奉公に出していたからなのです。そればかりかこの弟ぎみの顔は、一めんに瘤々だらけと来ているものですから、仮りにもそれを剃る段になったら、そこらじゅう切り疵だらけにせずには済まぬ始末だったのでした。
 さてこの人がオリョールに出てくると、町の床屋の面々を呼びあつめて、こう申し渡したものです、――
「もしこのわしを、兄者びとカミョンスキイ伯爵同様の男ぶりに仕上げてくれる者があったら、その者には小判二枚をとらせよう。万が一わしに切り疵をつけるような者にたいしては、これこのとおりピストルが二挺テーブルの上にあるぞ。首尾よく仕了せた者は、小判を持って退散するがよい。吹出物ひとつ切るなり、頬ひげ一本やり損じた者があったら、たちどころに一命は貰い受けるぞ。」
 だがこれは唯のおどし文句なのでした。二挺のピストルには空包《からだま》がこめてあったのですよ。
 当時オリョールには床屋がたんといなかったし、いる連中にしたところで、たかだか受け皿を手に持って風呂屋まわりをしたり、吸角《すいだま》や蛭をつけたりするぐらいが関の山で、趣味とか趣向とかいうものは薬にしたくも持合せのない手合いでした。それは自分から承知の前でしたから、一同みなカミョンスキイ「御変容」の大役を辞退におよびました。『まあどうなりと御勝手に』と、床屋たちは胸中ひそかに考えたのです、――『お前さんも、お前さんのその小判もな。』
「わたくしどもには」と、口々に言上しました、――「とても及ばぬ大役でございます。そのようなお偉いお方のお髯の先に触れることさえ畏れ多い分際であります上に、然るべき剃刀の持合せもございません。持合せておりますのは、ありきたりのロシヤ製の剃刀でございますが、ごぜん様のお顔をあたりますには、イギリス製でなければ叶いません。これは伯爵様のお抱え、あのアルカージイならでは、とても及ぶことではございません。」
 弟ぎみはその床屋の面々を、首っ玉つらまえて早々に追い出せと下知しましたが、こっちは却って厄のがれをしてほくほくものでした。弟ぎみはすぐその足で兄ぎみのところへ馬車を乗りつけ、こう言いました。――
「いやどうも兄さん、えらい難儀なお願いがあって参りましたよ。日の暮れぬ前にあんたのお抱えのアルカーシカ奴《め》を、ちょっとわたしに貸し下されて、わしの男ぶりを然るべくととのえさせては貰えんですかい。久しく顔をあたりませんが、当地の床屋どもは手に負えんと申しますでな。」
 伯爵は弟ぎみにこう答えなさいました、――
「ここの床屋どもは、無論のことやくざ者だよ。第一そんなものが、この町にいようとは知らなかったね。何しろわたしのところでは、犬の毛を刈るのさえ、抱えの者がやるからな。さて折角のあんたの頼みだが、それは無理難題というものだ。というのは、わたしが存命中アルカーシカのやつには、わたし以外の誰の調髪もさせんと固く誓言したからだよ。まあ考えてもごらん――いやしくも一たん約束したことを、わたしがわが家の奴隷の前で、むざむざ破っていいものかな?」
 相手はこうやり返します、――
「なんの仔細があるものですか。あんたが定めたことを、あんたが変えるのにさ。」
 けれどあるじの伯爵さまは、そんな理窟はいっそ奇怪千万だと答えなさりました。
「一たんわたしが」と仰しゃるのです、――「自分からそんな事をはじめたら、今後うちの者らに示しがつくと思うかな? アルカーシカのやつには、わたしがそう決めたと申し渡してあるし、一同もそれを心得ている。さればこそあいつの給金も、ほかの皆よりは一段と奮発してあるのだから、万一あいつが謀反気を起して、わたし以外の者のつむりにその芸をふるうような真似をしたなら、わたしはやつを死ぬほど鞭打ったうえ、兵隊にやってしまうつもりだよ。」
 弟ぎみはこう言います、――
「そのどっちか一つでしょうな――死ぬほど鞭打つか、それとも兵隊にやるか。両方いっしょにやるのは無理でしょうな。」
「まあいい」と伯爵、――「じゃああんたの言う通りにするさ。殺しも半殺しもしない程々に鞭打って、それから兵隊にやるとしよう。」
「ではそれが」と弟ぎみ、――「ぎりぎり結著のお言葉ですか、兄さん?」
「うん、ぎりぎり結著だ。」
「ただそれだけの仔細なんですね?」
「うん、それだけだ。」
「まあまあ、それで安心しました。さもないとわたしは、あんたにとって現在の弟が、そこらの奴隷一匹より安いのかと、そう思うところでしたよ。ではこうしましょう、あんたは約束を破るまでもない、ただあのアルカーシカを、わたしのむく犬の毛を刈込み[#「むく犬の毛を刈込み」に傍点]におよこし下さい。その先あれが何をするかは、わたしの知ったことですて。」
 伯爵としては、それまで断わるのは気がひけたのでしょうね。
「よかろう」と伯爵が仰しゃいました、――「では、むく犬を刈込みにやるとしよう。」
「いや、それで結構です。」
 弟ぎみはぎゅっと握手をして、馬車を返して行きました。

      ※[#ローマ数字8、1−13−28]

 それはちょうど夕暮れ前で、冬のこととてそろそろたそがれはじめ、召使が灯を入れておりました
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