。その方が私共にはおもしろい。そして、どうせ三味線は後から付けたものであろうから、そのふしは然るべき音楽家に一応相談した方がよさそうである。また、いやしくも勝太郎姐さんともあるものは、そこをよく音楽的に考えて見てもよさそうである。声との関係や、曲全体としてのふしなどは、音楽的にもう一度考えて見る必要が甚だありそうである。細かい事は漫筆に適しないが、早い話が『佐渡おけさ』『追分節』のレコードでは三味線はスタカートで終る。三味線というものは、由来そうしたものか知らないが、もしあれと反対に少しのフェルマートをあの音に付けて終ったとしたら、このレコードはもっと気分を損じないおもしろいレコードになったであろうと思う。そしてそんな事を言えならまだまだ沢山ある。
このようなレコードは、一口に民謡レコードというけれども、決してただ実用だけの民謡ではない。ニホン音楽のうちでも一番メロディッシュな民謡というものを、独立に、それだけで鑑賞せられるように、一種の美しいリードとして私共に与えてくれるものである。例えば私共がただ『佐渡おけさ』を踊るなら、勝太郎のレコードで踊るよりも、も少しテムポを早めて、もう少しメロディをぶっきら棒に自分で唄った方がいい。このようなレコードは音楽的に聞けばいいものである。確に或る種類の音楽的な意味をもつものである。そしてニホンの民謡をその出来得る限りの範囲で私共にリードとして与えるのが、――大げさに言っておどかせば、――正に勝太郎の双肩にかかった大仕事である。決して軽々しくやられない。あらゆる点に深甚な音楽的な用意がいる。
――と、こんな事は、もちろん全くの素人の言う事である。こんなレコードの御客様方には、恐らくどうでもいい事であろう。そしてレコードはレコード会社の商品で、どんどん売れればそれで文句は無いはずである。ろくにレコードを買いもしないで、何だかだと下らない余計な注文ばかり言うのは、言う方が悪いにきまっている。そこで勝太郎姐さんもその「都々逸」で大いに道徳を説法する。――「上見りゃきりなし、下見てくらせ!」
なるほど、いや、恐入りました。素人はまずこの辺で満足して僅かの勝太郎の民謡レコードの万歳でも三唱して引き下る事にいたしましょう。
底本:「音楽と生活 兼常清佐随筆集」岩波文庫、岩波書店
1992(平成4)年9月16日第1刷発行
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