若いピアニストが音楽会の休憩の時、自分の弟子たちがどうして譜を読み、譜を覚えるか、という事を漫然と私に話した事があった。それを側で聞いていた女史が、異常な熱心さで、私にその話を翻訳してくれと頻りにせがんだ。無論その熱心は尊い。しかし和声学の全体を規則正しくピアノの上で練習しないで、ただ譜だけを流暢に正確に弾きこなそうというようなわがままは到底音楽の世界には通用しない。
暫くして、またも一つの不安が女史の胸にも芽生えたらしかった。それは自分のピアノの技巧に対する不安である。例えば一九二三年十月十日のエミール・フライの音楽会の済んだ後で、私は俄雨に困っている女史を見た。私は私の雇った馬車に女史をも一緒に乗せた。女史は非常な不機嫌で、フライの手首の動かし方についてちょっと話したきり、あとはほとんど一語も発しなかった。ただ僅にこう言った。私は言葉通りに覚えている。――「おこがましくも、私もあの曲を弾いたことがあります。」これはベートーヴェンの作品一〇六番の大ゾナーテである。そして最後に「こうしてはいられない!」と一、二度繰返した。そして馬車の勘定も、さよならを言う事も忘れて、ただそわそわして
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