ものが知らず識らずタッチの上に表われるというかも知れないが、不幸にしてそのタッチというものは世の中には存在しない。やはり今のピアノの学生の仕事を取ってみれば、ただ模写と追随という事より外に何物も存在しない。
 この二人の学生は、将来どうして私共の芸術を求める心を同じ程度に満足させてくれるであろうか。私はピアノ弾きにならなかった事を、いつも幸福だと思っている。
 私はこの話は、ただピアノを例に取って、音楽の演奏という事が何を意味するものかを考えてみただけである。そして私はショパンとジョルジュ・サンドとプレエルのピアノの三つで音楽が成立していた時代が一番理窟にあった、迷信のなかった時代だと思う。私はジョルジュ・サンドの役が買いたかった。

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 附記 この小篇は当時方々から多少の反駁を被ったものである。この小篇の基礎になった実験は、私はもう一度別の方法で試みる。それには非常な用意がいる。それは別のところで報告する。
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底本:「音楽と生活 兼常清佐随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年9月16日第1刷発行
※プライムはアポストロフィ「'」で、シャープは番号記号「#」で代替入力しました。
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2009年4月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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