で叩こうと、そんな事は音楽の音とは別に何の関係もない。それはただ先生が御愛嬌にそんな事も言って見るだけのものである。それを本当と思いこんで、真面目になって、その通りをピアノの上でやって見ようとするのは、本気で考えると頗る馬鹿げた話である。それが迷信である。音楽はただ音楽である。楽器は楽器より以上の何物にもなり得ない。ピアノはピアノで出来るより以上の仕事は決して出来得ない。私はこのお話で多少でも本当の事と迷信との間に境界線が引けたとしたならば、些《すくな》くも私が朝夕弾いているこの一台のピアノだけは、非常にそれを喜んでくれるであろう。

    2 事実

 ピアノを弾くという事は、一体人間のどんな種類の仕事であるか、同じような仕事のタイプライターとどう違うものであるか、――そのような問題は人の考えるほど簡単なものでない。それに正しく答えようと思えば、その仕事のいろいろな部分が正しく数量的に記述されていなければならない。その記述という事は決して容易なものではない。私共のその実験はまだ半途である。
 ピアノという楽器はどんな機械的な性質のものであるか、――これも重要な問題である。しかしこれも人間の仕事を数量的に記述する事がむずかしいように、むずかしい。或る程度を越えては今のところ不可能である。
 ハママツのヤマハ・ピアノ会社は、一昨年航空研究所のスハラ博士の超高速度活動写真でピアノの槌の動き方を撮影した。一秒五〇〇〇こまの超高速度フィルムが竪台と平台とで二本ある。このフィルムを読んで見ることは、他の機会で述べるように、数学的には非常に興味がある。しかしそれでもまだ遥かに材料が足りない事と、このフィルムは写真の視野が狭くて、ただ槌の頭だけしか見えないから、他の部分との関係がわからない事とで、これから直接に、十分にピアノの機構を説明するというわけには行かない。
 このヤマハ・ピアノ会社の実験は、ニッポンで今までピアノについて試みられた一番大がかりなものであろうが、それにしてもその結果はただピアノの槌の運動の一部分を説明したに過ぎない。ピアノくらいの機械でも、それを完全に記述し、何から何まで説明することは、想像以上に困難な仕事である。
 しかしピアノについては、何から何まで説明し尽されないにしても、その一部分でも説明されたら、それだけ音楽という事実の真相が明るみに出される事に
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