の中に割りこんで聞き耳を立てた。
父の話は、私が昨夜見たものと全く同じだった。
「怪しい、ふしぎな家だ。ウーム」
語り終った父は、腕をくんで考えこんでしまった。私はいつか母の腕にしっかりとすがりついていた。
「幽霊屋敷ですよ。いやですわ。あなたは馬鹿に趣味のこった良い家が見つかったなんておっしゃいましたが、私はこの門に着くなり、いやァな気がしましたよ。かや[#「かや」に傍点]だって台所に長くいると、なんだか寒気がしてくるといってますよ」
母がかや[#「かや」に傍点]の顔を見ながら言った。するとかや[#「かや」に傍点]も、
「ええそうですわよ。旦那様、たしかに幽霊屋敷ですよ」
と、生きた心地が無さそうに、身をふるわせながら言った。
「うん、そういえば、僕も夕方庭のいちじくの木の影に、黒い着物を着た老婆とも老人ともつかぬ人影のたたずんでいたのを感じたですよ。それですぐに見えなくはなってしまったのですが。……どうもふしぎですよ」
と、さすがに書生の徳吉も、気味の悪そうな顔で辺りを見廻した。
3
翌朝は、からりと晴れた、まことに気持のよい秋晴れの天気だった。
赤とんぼが楽しげに飛び交うて、昨夜の恐怖なぞ、かけら一つのこさぬすがすがしさだった。広い台所で私は、出入りの商人達と何かひそひそと話しあっていた。当今とちがって、大正の時代には、立派な貸家も多く、商人は引越してくる家におしかけ、自分のお得意様を作るのに、米屋も酒屋も肉屋も、なんでも競争がはげしかった。「ソレッ!」とばかりに通帳をつくり、おしかけて来たもので、要領の好い商人なぞは、引越の手つだいなぞをするありさまであった。
この日台所にはそのような商人が一ぱい集っていた。
「ヘエ――」
「では又――お出でなさったんですか?」
「しばらく現われないで、よいあんばいだなんて申しておりましたが」
「ばあーさんですか」
これは父の声だ。
「いやですなア――」
「旦那は何もごぞんじなく引越していらっしたんですな?」
「この家は有名な化けもの屋敷ですよ」
私は書生の徳吉さんの傍で、じっと聞耳をたてていた。
広い台所のかまちに腰をおろした、これ等の近所の商人の語るところによると、この家は人殺しの家であったというのである。この家の主人というのは物持ちの老婆であって、風流好みのこの屋敷を建てたが、一人身の淋しさから、一人の甥御と二人暮しをはじめた。ところが、この甥が女のことで金につまり、この老婆の財産に眼をつけた。そしてばあさんさえなき者にしてしまえば、財産はたった一人の甥である自分の懐にころげ込んでくると考え、或る日、とうとうこの老婆を殺害して、その死体をピシピシと小さくへし折って、箱につめこみ、石の重しをつけ、この台所の井戸深く沈めたのである。この犯罪はその六年間発覚しなかったが、丁度七年目に、老婆を殺した甥とこの男といっしょになった女とが、共に物の化におそわれるが如く、発狂状態になり、はては自分達のやったことを口走り、ついに警察の調べとなり、この井戸の中から箱が浮び上り、白骨と化した老婆の変りはてた姿が現われた――というのだった。
今更ながら、家中の者は震えあがり、釘付けになっている、大きな井戸を恐る恐るながめるのであった。私達一家となんの関係も無い老婆の亡霊が、我々を驚ろかしたというのは、考えようによってはしゃくにさわるが、別に考えると霊としては、誰れにでも、自分の気持を知らしたいものであるから、とも思い、同情したくもなってくるのだ。
以上が私の少年時代に見た恐ろしい亡霊の姿であるが、この時から私は霊魂の存在を信じるようになったのである。知友である、徳川夢声老も幽霊を信じ、淡谷のり子氏も恐ろしい幽霊のことを私に話したことがあるし、佐藤垢石老も魚を釣りに行った時、時々妖怪に会うことがあるというし、今年の春、九州博多で火野葦平氏に会った時には、氏は河童に会って親しくしたことがあるといっていた。皆間違いのない話だろう。
当時いっしょに老婆の姿を見た姉は、今では七人の児持ちである。
底本:「猿々合戦」要書房
1953(昭和28)年9月15日発行
入力:鈴木厚司
校正:伊藤時也
2010年1月26日作成
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