かないのにね」
 うすあかりの中でかすかに洋ちやんの顔が笑つた。私もそれでほつとしてにつこりする。今度こそ! 今度こそ! と思ふ驛を汽車はおかまひなくすつとばしてしまふ。どの位たつたらうか。十分も一時間に思へる。今の私たちにはあまり長すぎる様な気がした。
 今か! 今か! と待つてゐるのに、あんまりすつとばすので心配になつて来た。
 が、それを云へば洋ちやんが可哀想だし、
「ねえ、もうじきねえ、きつと、もうすぐよ」
 と念を押す様な、たのむ様な声で云つてみる。
「うん……」
 しかし、洋ちやんは何を云つても、うん[#「うん」に傍点][#底本では「云つても、うん[#「うん」に傍点]」は「云つても、う[#「、う」に傍点]ん」]ばかりしか応へてくれない。長い/\時間がたつて汽車はやつと小田原へとまつた。町の燈で両側が明るくなつたときの私たちの嬉しさ。
「今度こそはきつと停つてよ。きつと……」と声をはづませて待つた。
 ホームへすべり込んだ時は、うれしくて胸がワク/\した。やつと汽車はとまつたが、機関車はホームを出外れてしまつたので、デツキから地面迄少したかい。しかし、もう、うれしくてたまらない私たちは、そんなことに気がつかなかつた。
 まづ洋ちやんが飛び下りる。私が洋ちやんの荷物をわたす。そして私も荷物をもつたまゝ夢中で飛び下りた。ホームの方へかけ出しながらみたら、向ふからお母様も走つていらつしやつた。
 お母様をみたら急に体中の力が抜けてしまひ、はりつめた気持がゆるんで泣きさうになつてしまつた。
「まあよかつた/\! おばあさんも、お母さんもとても心配したのよ」
 とおばあ様は繰り返し/\おつしやつた。
「洋ちやんが泣いてるだらう。おまへが困つてるだらう、と、とつても気をもんでたのよ。よかつたね」と頭をなでんばかりにおつしやる。
 私は一部始終をかたり、
「それどころぢやないの。洋ちやんとつても落着いてゝね、何を云つても、ウン/\しか云つてくれないもんで、私の方が泣きたくなつちやつたんですよ」
「ねー洋ちやん、トンネルん中、雨がふつて面白かつたわね」と私が笑ひかけたら、洋ちやんはみかんを食べながら、又、「うん」と云つた。



底本:「みの 美しいものになら」四季社
   1954(昭和29)年3月30日初版発行
   1954(昭和29)年4月15日再版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2008年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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