薇の花壇を蹂躪して走つて来たさうだ。そのとたんにお嬢さんが、荒々しい叫声を出したのであつた。最後の一瞬間に、ヰクトルは今まで握つてゐた手を柁機から離した。そしてお嬢さんをしつかり抱いた。そのとたんに自動車は別荘の石壁に衝突して、二人は死んだのである。
 この出来事は無論世間の大評判《おほひやうばん》になつた。そして誰にも可哀がられてゐたお嬢さんは、誰にも惜しまれた。
 気の毒な父親も頗る世間の人の同情を惹いた。
 葬《とぶらひ》の前に、お嬢様のお好な花はなんであつたかと、諸方から問合せがあつた。
 葬の日には柩の上を薔薇の花輪が三層に覆つた。真つ赤い薔薇の花の輪飾が。
 お嬢さんはこれ程に可哀がられてゐたのである。平生この家と交際してゐる二三軒では、丁度葬の日に芝居の入場券が買つてあつたのに、遠慮して行かなかつた位である。



底本:「鴎外選集 第14巻」岩波書店
   1979(昭和54)年12月19日第1刷発行
初出:「女子文壇 七ノ八」
   1911(明治44)年7月1日
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2000年5月1日公開
2006年5月8日修正
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