スをさせて上げますの。可笑しいぢやありませんか。も少しで一しよに舞踏会へ来る所でしたの。可笑しいぢやありませんかねえ。」
「それはあなたに迷はされたのです。誰だつてあなたに迷はされないものはありません。あなたは魔女《まをんな》ですね。」
「またお世辞を仰やるのね。わたし為返《しかへ》しをしてよ。お帰りになる前につねつて上げますわ。痛い事よ。それからなんでしたつけ。さうさう。あの宅がきのふいろ/\わたしの事を申しましたのですつて。」
「なに、そんなにいろ/\な事は言はれませんでした。わたしの見た所では、イワン君はおもに人類一般の運命と云ふやうな事を考へてゐるのです。」
「さう。そんな事を幾らでも考へるのが好うございます。もう伺はなくつても沢山。いづれひどく退屈してゐますのね。いつかわたしもちよつと行つて見て遣りませう。事に依つたら、あすでも参つて見ませう。けふは駄目ですわ。わたし頭痛がするのですから。それに沢山見物人が寄つてゐる事でせうね。大勢で、あれがあの人の女房だと云つて、わたしに指ざしをするかも知れませんのね。わたし厭だわ。そんなら又入らつしやいな。晩には宅の所へ入らつしやいますの。」
「無論です。新聞を持つて行く筈ですから。」
「ほんとに御親切です事ね。新聞を持つて入らつしやつたら、少しの間《ま》側にゐて、読んで聞かせて下さいましな。それからけふはもうわたしの所へはお出なさらなくつても好くつてよ。わたし少し頭痛がしますし、事に依つたら誰かの所へ遊びに行くかも知れませんの。まだ分かりませんけれど。そんなら、さやうなら。あなた浮気をなさるのぢやありませんよ。」
「ははあ、今夜は髭黒が来るのだな」と腹の中で己は思つた。
役所では己は誰にも気取られないやうにしてゐた。世間に心配と云ふものがあるか知らと云ふやうな顔をしてゐたのである。そのうちふと気が付いて見ると、けふに限つて或る進歩派の新聞が忙しげに手から手へ渡されてゐる。そして同僚が皆厭に真面目な顔をしてそれを読んでゐる。最初に己の手に渡つたのはリストツク新聞である。この小新聞はどの政党の機関と云ふでもなく、広く人道を本として議論をすると云ふ風である。さう云ふわけで同僚はいつも馬鹿にしてゐるが、其癖読まずには置かない。己はリストツク新聞に次の記事のあるのを見出した。
「吾人は昨日帝都中に一種の不可思議なる風聞あるを耳にせしが、幾ばくもなくして、その風聞の事実なる事を確認したり。都下知名の紳士にして料理通を以て聞ゆる某氏は有名なる某倶楽部の割烹にも満足せざるらしく、昨日午後突然外国より輸入して、同所に於て公衆に示す事となり居る※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を見るや否や、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の持主の承諾をも経ず、即座にその※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を食《くら》ひ始めたり。初めは生きながら※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の体の柔かき所を選びて、ナイフにて切り取り、漸次に食ひて、終に※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の全体を食ひ尽したり。想ふに某氏は猶飽かずして見せ物師をも食はんとしたるならん。何となれば※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を嗜《たしな》む[#「嗜《たしな》む」は底本では「嗜《たし》む」]ものは人肉をも嗜まざる理由なければなり。元来※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の旨味《しみ》あるは、既に数年前より外国の料理通の賞賛する所なれば、吾人と雖※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を食ふ事を排斥すべきにあらず。否、吾人はこの旨味ある新食品の愈々盛んに我国に輸入せられん事を希望して息《や》まざるものなり。古来英国の貴族及び旅人《りよじん》は埃及《エジプト》に於て※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を捕へて食する事我国人の熊を捕へて食ふと異る事なし。聞く所に依れば、英人は※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]猟の組合を組織して※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を捕へ、その背肉《はいにく》をビイフステエキの如く調理し、芥《からし》、ソオスを加へ、馬鈴薯《じやがいも》と共に食ふと云ふ。又仏人は彼の有名なるフエルヂナン・レセツプス氏の埃及に入りしより以来※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を嗜み、英人の背肉を食ふに反して、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の短く且太き脚の肉を食ふと云ふ
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