は悉《ことごと》く明け放ってある。国技館の電燈がまばゆいように半空《なかぞら》に赫《かがや》いている。
座敷を見渡すに、同郷人とは云いながら、見識った顔は少い。貴族的な風采《ふうさい》の旧藩主の家令と、大男の畑少将とが目に附いた。その傍に藩主の立てた塾の舎監をしている、三枝《さいぐさ》と云う若い文学士がいた。私は三枝と顔を見合せたので会釈をした。
すると三枝が立って私の傍に来て、欄干《らんかん》に倚《よ》って墨田川を見卸《みおろ》しつつ、私に話し掛けた。
「随分暑いねえ。この川の二階を、こんなに明け放していて、この位なのだからね」
「そうさ。好く日和《ひより》が続くことだと思うよ。僕なんぞは内にいるよりか、ここにこうしている方が、どんなに楽だか知れないが、それでも僕は人中が嫌《いや》だから、久しくこうしていたくはないね。どうだろう。今夜は遅くなるだろうか」
「なに。そんなに遅くもなるまいよ。余興も一席だから」
「余興は何を遣《や》るのだ」
「見給え。あそこに貼《は》り出してある。畑|閣下《かっか》が幹事だからね」
こう云って置いて、三枝は元の席に返ってしまった。
私は始て気が附いて、承塵《なげし》に貼り出してある余興の目録を見た。不折《ふせつ》まがいの奇抜な字で、余興と題した次に、赤穂義士討入と書いて、その下に辟邪軒秋水《へきじゃけんしゅうすい》と注してある。
秋水の名は私も聞いていた。電車の中の広告にも、武士道の鼓吹者《こすいしゃ》、浪界の泰斗《たいと》と云う肩書附で、絶えずこの名が出ているから、いやでも読まざることを得ぬのである。或る時何やらの雑誌で秋水の肖像を見た。芝居で見る由井正雪のように、長い髪を肩まで垂れて、黒紋附の著物《きもの》を著ていた。同じ雑誌の記事に依れば、この武士道鼓吹者には女客の贔屓《ひいき》が多いそうである。
しかし男に贔屓がないことはない。勿論不幸にして学生なんぞにはそんな人のあることを聞かない。学生は堕落していて、ワグネルがどうのこうのと云って、女色に迷うお手本のトリスタンなんぞを聞いて喜ぶのである。男の贔屓は下町にある。代を譲った倅《せがれ》が店を三越まがいにするのに不平である老舗《しにせ》の隠居もあれば、横町の師匠の所へ友達が清元の稽古《けいこ》に往くのを憤慨している若い衆もある。それ等の人々は脂粉の気が立ち籠《こ》めて
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