ないのだ。ここで猛獣を鞭で打つたり、横木に吊り下がつたりする人達のうちで、誰があの爆発の危険なんぞを想像することが出来るものか。あしたから又不断の、いやな、あぶない目を見る人達も、今はそれを綺麗に忘れてゐて、思ひ切つて払つた金だけの値打のある面白さに浮かれてゐる。
 曲馬組の頭《かしら》マツテオ・カスペリイニイはけふひどく貧民に同情して、大抵晩の興行に出して、金を倍払ふお客様に見せる程の物は、吝《をし》まずに午後の興行にも出す。それ丈の事は別に苦にせずに出来る。晩も大当な事は受け合はれるからである。
 曲馬組の人達は暇のない働きをしてゐるので、晩の興行の客がどの位場外に詰め寄せて来たか、平生ひつそりしてゐる、マリアの辻にどんな前景気が見えて来たか、知らずにゐる。ロオデンシヤイド市の警察は人数も余り多くない。それに余り智慧もない。そこで大変な惨状を呈しさうな模様の見えてゐるのに、それを予防しようともしなかつた。
 カスペリイニイの曲馬場は正面の入口が頗広い。併しその広い入口一つしか無い。入口が即ち出口である。さて午後興行に這入つた客が太平無事を楽んでゐるうちに、晩の興行に這入らうとする客が、なるたけ入口に近く地歩を占めようとして、次第次第に簇《むら》がつて来た。各《おの/\》番号の打つてある札を持つてはゐるが、遅く往つたら這入られまいかと云ふ心配をしてゐる。それは偽札が出たと云ふ噂を聞いたので、番号が重なつてゐるかも知れぬと思ふのである。そのうち群集が危険な大さになつた。曲馬を見ようとする段になると、大商店の主人も貧乏極まる織屋職工と同じやうに、神聖なる権利のために奮闘する。実は今になつて見ると、息張《いば》つて車に乗つて晩の見物に来た富豪が、心の内で現に場内の暖い席にゐる貧乏人を羨んでゐる。
 元日は馬鹿に寒かつた。毛皮外套を被《き》ても、ゴム沓《ぐつ》を穿いても余り長く外に立つてはゐられない。せぎ合つてゐる人の体のぬくもりは、互に暖めはしないで、却て気分を悪くする。そこで老人連はもういやになつて来たが、一しよに来た若い人達は早く見たがつて胸を跳らせてゐる。兎に角皆気がいらつて来てゐる。
 やつとの事で電燈がぱつと附いた。昼の興行が済んだのである。
 入口に構へてゐた警部が呼んだ。「さあ/\皆さん。少しあとへお引なさい。両側へお寄なさい。道をあけて、中にゐる連中を出
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