竄、で、その目はなんの表情もなく空を見てゐる。その声は不断テノル調であるのにこの時はヂスカント調になつてゐる。ちよいと聞くと浮かれてゐるのかと思はれるが、その言語が如何にも明晰で、その思想が如何にも沈着で、決して浮かれてゐるのでないことが分かる。己は友達のさう云ふ様子を見る度に、古代の哲学にある一|人《にん》二霊説を思ひ出さずにはゐられない。どうも創造的性質のドユパンと分析的性質のドユパンとがあるやうなのが、己には面白く思はれた。
 かう云つたからと云つて、己が何か秘密を訐《あば》かうとするだらうだの、小説を書くだらうだのと思ふのは間違である。このフランス人に就いて己の話すのは簡単な事実に過ぎない。その事実は過度に働いてゐる、事に依つたら病的な悟性の作用かも知れない。当時のこの人の観察の為方は次の例を以て人に理解させるのが最も適当であらう。
 或る晩のことであつた。我々二人はパレエ・ロアイアルの附近の長い、汚い町を、ぶら/\歩いてゐた。二人とも何か考へ込んでゐたので、十五分間程一|言《ごん》も物を言はずにゐた。突然ドユパンが云つた。
「実際あいつは馬鹿に小さい男で、どうしても寄席に出た
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