Oに、別段嫌疑の廉《かど》はないのに未決檻に入れられたのである。
 この事件の経過にドユパンはひどく興味を持つてゐるらしく見えた。少くもこの男の挙動を見て、己はさう云ふ推定を下すことが出来たのである。かう云ふ場合の常として、ドユパンはこの事件の事を毫も口にしない。やつとルボンが縛られたと云ふ記事を読んだ時になつて、ドユパンは纔に口を開いて、己にどう思ふと云つた。
 己の意見は当時パリイの市民が一般に懐抱してゐた意見と同じである。この事件は到底解釈すべからざる秘密たる事を免れない。下手人の行方を捜し出す手段は所詮あるまいと云ふのである。
 ドユパンは己の返事を聞いた上で云つた。「どうせ証人の申立なんぞは浅薄なもので、それに由つて捜索の手段を見出すことは出来ないよ。パリイの警察は敏活だと世間で褒められてゐるが、あれは狡猾だと云ふに過ぎないね。何か捜さうとする時には、その刹那々々の思付で手段を極る。その外には手段がないのだ。大抵どうすると云ふ方針の数が極まつてゐて、何事をもそれに当て嵌める。だからどうかするとちつとも実際に適合しない方針を取ることになる。笑話に或人が寝衣《ねまき》を着て音楽を聞いた事があつたので、その後音楽の好く聞えない時には、その寝衣を出させて着て見ると云ふことがある。パリイの警察もどうかするとこれと同じやうな滑稽を遣るのだね。成程既往に溯つて見ると、パリイの警察が好結果を得たことも沢山あるよ。だがそれは只念を入れて忍耐して捜し出したか、又は八方に手を出して捜し出したかの二つに過ぎない。この二つが駄目になると、警察はどんなに骨を折つても成功することが出来ないのだ。あのヰドツクなんぞは物を考へ当てること即ち射物《しやぶつ》がひどく上手で、忍耐してそれを追躡《つゐせふ》して往くのだ。ところがあいつの思量はなんの素養もないのだから、考へ外れが沢山ある。そしてその間違つた方角に例の忍耐を以て固著してゐるのだから溜まらない。それにあいつは対象物を目の傍に持つて来て視る流義だから、或る一二点を如何にも鋭く見るが、全体を達観することが出来ない。兎角物を余り深く見ようとするとさうなるのだ。ところがいつでも井戸の中さへ覗けば真理が得られると云ふものではないからね。僕なんぞは反対に考へてゐる。あらゆる重大な発見は大抵浅い所にあるのだね。人はその真理を谷間に求めたがるが、それよりか寧ろ山の頂に求めた方が好いのだ。この関係は天体を観察する方法を見ても分かる。人がどんな間違をするか、その間違が何から起るかと云ふことが、天体の例で説明すると分かるのだ。星なんぞを見るのに、それを注視しないで、ざつと横目で見るのが好い。さうすると星が目の網膜の外囲部に映る。そこは中心部よりも微弱な光線を知覚するに適してゐる。そこで星の形もその光も一番はつきり分かる。それを注視すれば注視するほど星の光は濁つて来る。無論注視した時の方が、目に受ける光線は量は多いが、それを感ずることが鈍いから無駄になる。それに反して横目でちよいと見ると、少い量の光線に対する感受性が鋭敏なので却て好く見える。それと同じ道理で深くえぐつた捜索法は人の思量を鈍らせて混雑させる。金星位な星だつてぢかにぢつと見詰めてゐると、とう/\天の何処にもゐなくなつてしまふよ。そこであの殺人事件だがね。あれに就いて考案を立てるには、まづ我々ばかりの手で特別な捜索をしなくてはならないね。そいつが随分面白からうと思ふよ。」
 ドユパンがかう云つた時、あのいまはしい犯罪の形跡を尋ねるのが面白からうと云ふのを、己は随分異様に感じた。併し黙つてゐた。友達は語を継いだ。
「それにあのルボンと云ふ男には、僕は一度世話になつた事がある。だからあいつを救つて遣るのは、僕の為めには報恩になるのだ。兎に角君と一しよに犯罪の場所を実検しようぢやないか。幸僕はG《ヂエ》警視を知つてゐるからあそこへ往つて見るだけの許可を得るのは造作はないよ。」
 友達はかう云つて直ぐにそれだけの手続を実行した。そこで我々二人は早速病院横町へ出向いた。この横町はリシユリヨオ町と聖ロツキユウス町とを連接した狭い道で、パリイの横町の中で、一番貧乏臭い横町の一つである。我々の住んでゐる所から聖ロツキユウス町迄の距離は大ぶあるので、我々が病院横町に到着したのは午後遅くなつてからである。犯罪のあつた家は容易に見付かつた。それは大勢の人がその向側の人道に集まつてゐて、なんの意味もなく、物珍らしげに鎖された窓を見詰めてゐたからである。家はパリイの普通の建築で、中央に歩道があつて、その横手に引戸の付いた窓がある。そこが門番のゐる所である。我々は直ぐに目当の家に這入らずに、まづその前を通り抜けて横町に曲つて、家の背後《うしろ》に出た。その間ドユパンは目当の家は勿論、そ
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