ラくなつてゐて、猫でも少し大きいのは通られない。これだけ考へて見ると、残つてゐる逃道は窓の外にはない。そこで前面の室の窓から逃げようと云つたつて、それは往来に集つてゐた大勢の人に見られるから出来ない。下手人はどうしても中庭に向いた室の窓から逃げたとしなくてはならない。この断案は精密な研究から得来つたものであつて見れば、あの窓からは逃げられさうもないと云ふやうな浅薄な反対を受けても、それでこの断案を飜すわけには行かない。そこでこの不可能らしく見えてゐる事が可能だと云ふことを証明しなくてばならぬ段取になるのだ。」
「あの室には窓が二つある。その一つの窓の側には家具なんぞは置いてない。窓は全形が見えてゐる。今一つの窓の下部は重くろしい寝台の頭の方で見えなくなつてゐる。全形の見える分の窓は密閉してあつた。僕の往くまでにもその戸を下から押し上げて開けようとしたものがあつたのだが、どうしても開かなかつたのだ。その窓の枠の左側には可なり大きい錐孔が揉んであつて、それに一本の釘が殆ど頭まで打ち込んである。今一つの窓を検査して見ると、やはり同じやうな釘が同じやうに打ち込んである。この窓の戸も下から押し上げようとしたつて上がらない。それだけのことは警察の役人も遣つて見て、そこで下手人が窓から逃げた筈がないと決定した。だから役人共はその釘を抜いて窓を開けて見る必要を認めなかつたのだ。」
「ところが僕は今少し立ち入つた研究をした。なぜと云ふに彼の不可能らしい事を可能にするには、この窓の研究を以てするより外に道がないからだ。」
「僕はこの場合に結論から逆に考へて見た。下手人はこの二つの窓の内、どれかから逃げたに相違ない。逃げたとすれば、その窓を内から締めることは出来なかつた筈だ。警察の役人共もこれだけのことは考へたが、そこで行き止まつた。成程窓は締めてあつた。併しどうかして一旦開いた後に、ひとりでに締つたかも知れない。この断案は動かすべからざるものだ。僕は全形の見えてゐる窓に往つて釘を抜いて見た。釘は少し力を入れて引つ張ると抜けたが、窓の戸を押し上げることは、どうしても出来なかつた。そこでこれはどこかに撥条《はじき》が隠れてゐるだらうと思つた。釘だけの事を考へると、如何にも不思議らしく見えても、撥条があるとすると、解決の道が付くのだ。暫く綿密に捜してゐるうちに、果して隠れた撥条が見付かつた。
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