、狭い一本道の附いている処へ、かわるがわる舟を寄せて、先ず履物《はきもの》を陸《おか》へ揚げた。どの舟もどの舟も、載せられるだけ大勢の人を載せて来たので、お酌の小さい雪蹈《せった》なぞは見附かっても、客の多数の穿いて来た、世間並の駒下駄《こまげた》は、鑑定が容易に附かない。真面目な人が跣足《はだし》で下りて、あれかこれかと捜しているうちに、無頓着な人は好い加減なのを穿いて行く。中には横着《おうちゃく》で新しそうなのを選《よ》って穿く人もある。僕はしかたがないからなるべく跡まで待っていて、残った下駄を穿いたところが、歯の斜《ななめ》に踏み耗《へ》らされた、随分歩きにくい下駄であった。後に聞けば、飾磨屋が履物の間違った話を聞いて、客一同に新しい駒下駄を贈ったが、僕なんぞには不躾《ぶしつけ》だと云う遠慮から、この贈物をしなかったそうである。
 定めて最初に着いた舟に世話人がいて案内をしたのだろう。一艘の舟が附くと、その一艘の人が、下駄を捜したりなんかして、まだ行ってしまわないうちに、もう次の舟の人が上陸する。そして狭い道を土手へ上がって、土手の内の田圃《たんぼ》を、寺島村の誰やらの別荘をさして行く。その客の群は切れたり続いたりはするが、切れた時でも前の人の後影を後の人が見失うようなことはない。僕も歯の歪《ゆが》んだ下駄を引き摩《ず》りながら、田の畔《くろ》や生垣《いけがき》の間の道を歩いて、とうとう目的地に到着した。
 ここまで来る道で、幾らも見たような、小さい屋敷である。高い生垣を繞《めぐ》らして、冠木門《かぶきもん》が立ててある。それを這入《はい》ると、向うに煤《すす》けたような古家の玄関が見えているが、そこまで行く間が、左右を外囲《そとがこい》よりずっと低いかなめ垣で為切《しき》った道になっていて、長方形の花崗石《みかげいし》が飛び飛びに敷いてある。僕に背中を見せて歩いていた、偶然の先導者はもう無事に玄関近くまで行っている頃、門と、玄関との中程で、左側のかなめ垣がとぎれている間から、お酌が二人手を引き合って、「こわかったわねえ」と、首を縮めて※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]《ささや》き合いながら出て来た。僕は「何があるのだい」と云ったが、二人は同時に僕の顔を不遠慮に見て、なんだ、知りもしない奴の癖にとでも云いたそうな、極く愛相のない表情をして、玄関の方へ行ってしまった。僕はふいと馬鹿げた事を考えた。昔の名君は一顰《いっぴん》一笑を惜んだそうだが、こいつ等はもう只で笑わないだけの修行をしているなと思ったのである。そんな事を考えながら、格別今女の子のこわがった物の正体を確めたいと云う熱心もなく、垣のとぎれた所から、ちょっと横に這入って見た。
 そこには少し引っ込んだ所に、不断は植木鉢《うえきばち》や箒《ほうき》でも入れてありそうな、小さい物置があった。もう物蔭は少し薄暗くなっていて、物置の奥がはっきり見えないのを、覗《のぞ》き込むようにして見ると、髪を長く垂れた、等身大の幽霊の首に白い着物を着せたのが、萱《かや》か何かを束ねて立てた上に覗かせてあった。その頃まで寄席《よせ》に出る怪談師が、明りを消してから、客の間を持ち廻って見せることになっていた、出来合の幽霊である。百物語のアヴァン・グウはこんな物かと、稍《やや》馬鹿にせられたような気がして、僕は引き返した。
 玄関に上がる時に見ると、上がってすぐ突き当る三畳には、男が二人立って何か忙がしそうに※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]き合っていた。「どうしやがったのだなあ」「それだからおいらが蝋燭は舟で来る人なんぞに持せて来ては行けないと云ったのだ。差当り燭台《しょくだい》に立ててあるのしきゃないのだから」と云うような事を言っている。楽屋の方の世話も焼いている人達であろう。二人は僕の立っているのには構わずに、奥へ這入ってしまう。入り替って、一人の男が覗いて見て、黙って又引っ込んでしまう。
 僕はどうしようかと思って、暫く立ち竦《すく》んでいたが、右の方の唐紙《からかみ》が明いている、その先きに人声がするので、その方へ行って見た。そこは十四畳ばかりの座敷で、南側は古風に刈り込んだ松の木があったり、雪見|燈籠《どうろう》があったり、泉水があったりする庭を見晴している。この座敷にもう二十人以上の客が詰め掛けている。やはり船宿や舟の中と同じ様に、余り話ははずんでいない。どの顔を見ても、物を期待しているとか、好奇心を持っているとか云うような、緊張した表情をしているものはない。
 丁度僕が這入った時、入口に近い所にいる、髯《ひげ》の長い、紗《しゃ》の道行触《みちゆきぶり》を着た中爺《ちゅうじ》いさんが、「ひどい蚊《か》ですなあ」と云うと、隣の若い男が、「なに藪蚊《やぶか》ですから、明りを附ける頃にはいなくなってしまいます」と云うその声が耳馴れているので、顔を見れば、蔀《しとみ》君であった。蔀君も同時に僕の顔を見附けた。
「やあ。お出《いで》なさいましたか。まだ飾磨屋さんを御存じないのでしたね。一寸《ちょっと》御紹介をしましょう」
 こう云って蔀君は先きに立って、「御免なさい、御免なさい」を繰り返しながら、平手で人を分けるようにして、入口と反対の側の、格子窓《こうしまど》のある方へ行く。僕は黙って跡に附いて行った。
 蔀君のさして行く格子窓の下の所には、外の客と様子の変った男がいる。しかも随分込み合っている座敷なのに、その人の周囲は空席になっているので、僕は入口に立っていた時、もうそれが目に附いたのであった。年は三十位ででもあろうか。色の蒼《あお》い、長い顔で、髪は刈ってからだいぶ日が立っているらしい。地味な縞《しま》の、鈍い、薄青い色の勝った何やらの単物に袴を着けて、少し前屈《まえかが》みになって据わっている。徹夜をした人の目のように、軽い充血の痕《あと》の見えている目は、余り周囲の物を見ようともせずに、大抵|直前《すぐまえ》の方向を凝視している。この男の傍《そば》には、少し背後《うしろ》へ下がって、一人の女が附き添っている。これも支度が極《ごく》地味な好みで、その頃|流行《はや》った紋織お召の単物も、帯も、帯止も、ひたすら目立たないようにと心掛けているらしく、薄い鼠が根調をなしていて、二十《はたち》になるかならぬ女の装飾としては、殆《ほとん》ど異様に思われる程である。中肉中背で、可哀らしい円顔をしている。銀杏返《いちょうがえ》しに結って、体中で外にない赤い色をしている六分珠《ろくぶだま》の金釵《きんかん》を挿《さ》した、たっぷりある髪の、鬢《びん》のおくれ毛が、俯向《うつむ》いている片頬《かたほ》に掛かっている。好い女ではあるが、どこと云って鋭い、際立った線もなく、凄《すご》いような処もない。僕は一寸見た時から、この男の傍にこの女のいるのを、只何となく病人に看護婦が附いているように感じたのである。
 蔀君が僕をこの男の前に連れて行って、僕の名を言うと、この男は僕を一寸見て、黙って丁寧に辞儀をしただけであった。蔀君はそこらにいた誰やらと話をし出したので、僕はひとり縁側の方へ出て、いつの間にか薄い雲の掛かった、暮方の空を見ながら、今見た飾磨屋と云う人の事を考えた。
 今紀文《いまきぶん》だと評判せられて、あらゆる豪遊をすることが、新聞の三面に出るようになってからもうだいぶ久しくなる。きょうの百物語の催しなんぞでからが、いかにも思い切って奇抜な、時代の風尚にも、社会の状態にも頓着《とんじゃく》しない、大胆な所作《しょさ》だと云わなくてはなるまい。
 原来《もとより》百物語に人を呼んで、どんな事をするだろうかと云う、僕の好奇心には、そう云う事をする男は、どんな男だろうかと云う好奇心も多少手伝っていたのである。僕は慥《たし》かに空想で飾磨屋と云う男を画き出していたには違いないが、そんならどんな風をしている男だと想像していたかと云うと、僕もそれをはっきりとは言うことが出来ない。しかし不遠慮に言えば、百物語の催主が気違|染《じ》みた人物であったなら、どっちかと云えば、必ず躁狂《そうきょう》に近い間違方だろうとだけは思っていた。今実際にみたような沈鬱《ちんうつ》な人物であろうとは、決して思っていなかった。この時よりずっと後になって、僕はゴリキイのフォマ・ゴルジエフを読んだが、若《も》しきょうあのフォマのように、飾磨屋が客を攫《つか》まえて、隅田川へ投げ込んだって、僕は今見たその風采《ふうさい》ほど意外には思わなかったかも知れない。
 飾磨屋は一体どう云う男だろう。錯雑した家族的関係やなんかが、新聞に出たこともあり、友達の噂話《うわさばなし》で耳に入ったこともあったが、僕はそんな事に興味を感じないので、格別心に留めずにしまった。しかしこの人が何かの原因から煩悶《はんもん》した人、若くは今もしている人だと云うことは疑がないらしい。大抵の人は煩悶して焼けになって、豪遊をするとなると、きっと強烈な官能的受用を求めて、それに依って意識をぼかしていようとするものである。そう云う人は躁狂に近い態度にならなくてはならない。飾磨屋はどうもそれとは違うようだ。一体あの沈鬱なような態度は何に根ざしているだろう。あの目の血走っているのも、事によったら酒と色とに夜を更《ふ》かした為めではなくて、深い物思に夜を穏《おだやか》に眠ることの出来なかった為めではあるまいか。強《し》いて推察して見れば、この百物語の催しなんぞも、主人は馬鹿げた事だと云うことを飽くまで知り抜いていて、そこへ寄って来る客の、或《あるい》は酒食を貪《むさぼ》る念に駆られて来たり、或はまた迷信の霧に理性を鎖《とざ》されていて、こわい物見たさの穉《おさな》い好奇心に動かされて来たりするのを、あの血糸の通っている、マリショオな、デモニックなようにも見れば見られる目で、冷《ひやや》かに見ているのではあるまいか。こんな想像が一時浮んで消えた跡でも、僕は考えれば考えるほど、飾磨屋という男が面白い研究の対象になるように感じた。
 僕はこう云う風に、飾磨屋と云う男の事を考えると同時に、どうもこの男に附いている女の事を考えずにはいられなかった。
 飾磨屋の馴染《なじみ》は太郎だと云うことは、もう全国に知れ渡っている。しかしそれよりも深く人心に銘記せられているのは、太郎が東京で最も美しい芸者だと云う事であった。尾崎紅葉君が頬杖《ほおづえ》を衝《つ》いた写真を写した時、あれは太郎の真似をしたのだと、みんなが云ったほど、太郎の写真は世間に広まっていたのである。その紅葉君で思い出したが、僕はこの芸者をきょう始て見たのではない。
 この時より二年程前かと思う。湖月に宴会があって行って見ると、紅葉君はじめ、硯友社《けんゆうしゃ》の人達が、客の中で最多数を占めていた。床の間に梅と水仙の生けてある頃の寒い夜が、もうだいぶ更けていて、紅葉君は火鉢《ひばち》の傍《わき》へ、肱枕《ひじまくら》をして寐《ね》てしまった。尤《もっと》も紅葉君は折々|狸寐入《たぬきねいり》をする人であったから、本当に寐ていたかどうだか知らない。僕はふいと床の間の方を見ると、一座は大抵縞物を着ているのに、黒羽二重《くろはぶたえ》の紋付と云う異様な出立《いでたち》をした長田秋濤《おさだしゅうとう》君が床柱に倚り掛かって、下太りの血色の好い顔をして、自分の前に据わっている若い芸者と話をしていた。その芸者は少し体を屈めて据わって、沈んだ調子の静かな声で、只の娘らしい話振をしていたが、島田に結った髪の毛や、頬のふっくりした顔が、いかにも可哀らしいので、僕が傍の人に名を聞いて見たら、「君まだ太郎を知らないのですか」と、その人がさも驚いたような返事をした。
 太郎が芸者らしくないと云う感じは、その時から僕にはあったのだが、きょう見ればだいぶ変っている。それでもやはり芸者らしくはない。先きの無邪気な、娘らしい処はもうなくなって、その時つつましい中《うち》にも始終見せていた笑顔《えがお》が、今はめったに見られそう
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