襞《ひだ》を崩《くず》さずに、前屈みになって据わったまま、主人は誰《たれ》に話をするでもなく、正面を向いて目を据えている。太郎は傍《そば》に引き添って、退屈らしい顔もせず、何があっても笑いもせずに、おりおり主人の顔を横から覗いて、機嫌を窺《うかが》うようにしている。
僕は障子のはずしてある柱に背を倚せ掛けて、敷居の上にしゃがんで、海苔巻《のりまき》の鮓を頬張りながら、外を見ている振をして、実は絶えず飾磨屋の様子を見ている。一体僕は稟賦《ひんぷ》と習慣との種々な関係から、どこに出ても傍観者になり勝である。西洋にいた時、一頃《ひところ》大そう心易く附き合った爺いさんの学者があった。その人は不治の病を持っているので、生涯無妻で暮した人である。その位だから舞踏なんぞをしたことはない。或る時舞踏の話が出て、傍《そば》の一人が僕に舞踏の社交上必要なわけを説明して、是非稽古をしろと云うと、今一人が舞踏を未開時代の遺俗だとしての観察から、可笑《おか》しいアネクドオト交りに舞踏の弊害を列《なら》べ立てて攻撃をした。その時爺いさんは黙って聞いてしまって、さてこう云った。「わたくしは御存じの体ですから、舞
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