と云う人の事を考えた。
 今紀文《いまきぶん》だと評判せられて、あらゆる豪遊をすることが、新聞の三面に出るようになってからもうだいぶ久しくなる。きょうの百物語の催しなんぞでからが、いかにも思い切って奇抜な、時代の風尚にも、社会の状態にも頓着《とんじゃく》しない、大胆な所作《しょさ》だと云わなくてはなるまい。
 原来《もとより》百物語に人を呼んで、どんな事をするだろうかと云う、僕の好奇心には、そう云う事をする男は、どんな男だろうかと云う好奇心も多少手伝っていたのである。僕は慥《たし》かに空想で飾磨屋と云う男を画き出していたには違いないが、そんならどんな風をしている男だと想像していたかと云うと、僕もそれをはっきりとは言うことが出来ない。しかし不遠慮に言えば、百物語の催主が気違|染《じ》みた人物であったなら、どっちかと云えば、必ず躁狂《そうきょう》に近い間違方だろうとだけは思っていた。今実際にみたような沈鬱《ちんうつ》な人物であろうとは、決して思っていなかった。この時よりずっと後になって、僕はゴリキイのフォマ・ゴルジエフを読んだが、若《も》しきょうあのフォマのように、飾磨屋が客を攫《つか》ま
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