ものに呼ばれては来たものの、その百物語は過ぎ去った世の遺物である。遺物だと云っても、物はもう亡くなって、只|空《むなし》き名が残っているに過ぎない。客観《かっかん》的には元から幽霊は幽霊であったのだが、昔それに無い内容を嘘《ふ》き入れて、有りそうにした主観までが、今は消え失せてしまっている。怪談だの百物語だのと云うものの全体が、イブセンの所謂《いわゆる》幽霊になってしまっている。それだから人を引き附ける力がない。客がてんでに勝手な事を考えるのを妨げる力がない。
人も我もぼんやりしている処へ、世話人らしい男が来て、舟へ案内した。この船宿の桟橋《さんばし》ばかりに屋根船が五六|艘《そう》着いている。それへ階上階下から人が出て乗り込む。中には友禅《ゆうぜん》の赤い袖がちら附いて、「一しょに乗りたいわよ、こっちへお出《いで》よ」と友を誘うお酌の甲走《かんばし》った声がする。しかし客は大抵男ばかりで、女は余り交っていないらしい。皆乗り込んでしまうまで、僕は主人の飾磨屋がどこにいるか知らずにしまった。又蔀君にも逢わなかった。
船宿の二階は、戸は開け放してあっても、一ぱいに押し込んだ客の人いきれがしていたが、舟を漕《こ》ぎ出すと、すぐ極《ごく》好い心持に涼しくなった。まだ花火を見る舟は出ないので、川面《かわづら》は存外込み合っていない。僕の乗った舟を漕いでいる四十|恰好《がっこう》の船頭は、手垢《てあか》によごれた根附《ねつけ》の牙彫《げぼり》のような顔に、極めて真面目《まじめ》な表情を見せて、器械的に手足を動かして※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を操《あやつ》っている。飾磨屋の事だから、定めて祝儀もはずむのだろうに、嬉《うれ》しそうには見えない。「勝手な馬鹿をするが好い。己《おれ》は舟さえ漕いでいれば済むのだ」とでも云いたそうである。
僕は薄縁《うすべり》の上に胡坐《あぐら》を掻《か》いて、麦藁《むぎわら》帽子を脱いで、ハンケチを出して額の汗を拭《ふ》きながら、舟の中の人の顔を見渡した。船宿を出て舟に乗るまでに、外の座敷の客が交ったと見えて、さっき見なかった顔がだいぶある。依田さんは別の舟に乗ったと見えて、とうとう知った顔が一人もなくなった。そしてその知らない、幾つかの顔が、やはり二階で見た時のように、ぼんやりして、てんでに勝手な事を考えているらしい。
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