》に、うすき褐《かち》いろの帽を戴《いただ》けるのみなれど、何となく由《よし》ありげに見ゆ。すこし引下がりて白き駒《こま》控へたる少女《おとめ》、わが目がねはしばしこれに留まりぬ。鋼鉄《はがね》いろの馬のり衣《ごろも》裾長《すそなが》に着て、白き薄絹巻きたる黒帽子を被《かぶ》りたる身の構《かまえ》けだかく、今かなたの森蔭より、むらむらと打出でたる猟兵の勇ましさ見むとて、人々騒げどかへりみぬさま心憎し。
「殊《こと》なるかたに心|留《と》めたまふものかな。」といひて軽く我《わが》肩を拍《う》ちし長き八字髭《はちじひげ》の明色《ブロンド》なる少年士官は、おなじ大隊の本部につけられたる中尉《ちゅうい》にて、男爵《だんしゃく》フォン・メエルハイムといふ人なり。「かしこなるは我が識《し》れるデウベンの城のぬしビュロオ伯《はく》が一族なり。本部のこよひの宿はかの城と定まりたれば、君も人々に交りたまふたつきあらむ。」と言畢《いいおわ》る時、猟兵やうやうわが左翼に迫るを見て、メエルハイムは馳去《かけさ》りぬ。この人と我が交りそめしは、まだ久しからぬほどなれど、善《よ》き性《さが》とおもはれぬ。
 寄手《よせて》丘の下まで進みて、けふの演習をはり、例の審判も果つるほどに、われはメエルハイムと倶《とも》に大隊長の後《しりえ》につきて、こよひの宿へいそぎゆくに、中高《なかだか》に造りし「ショッセエ」道美しく切株残れる麦畑の間をうねりて、をりをり水音の耳に入るは、木立《こだち》の彼方《あなた》を流るるムルデ河に近づきたるなるべし。大隊長は四十の上を三つ四つも踰《こ》えたらむとおもはるる人にて、髪はまだふかき褐《かち》いろを失はねど、その赤き面《おもて》を見れば、はや額《ぬか》の波いちじるし。質樸《しつぼく》なれば言葉すくなきに、二言《ふたこと》三言《みこと》めには、「われ一個人にとりては」とことわる癖《くせ》あり。遽《にわか》にメエルハイムのかたへ向きて、「君がいひなづけの妻の待ちてやあるらむ、」といひぬ。「許し玉へ、少佐《しょうさ》の君。われにはまだ結髪《いいなずけ》の妻といふものなし。」「さなりや。我言《わがこと》をあしう思ひとり玉ふな。イイダの君を、われ一個人にとりてはかくおもひぬ。」かく二人の物語する間に、道はデウベン城の前にいでぬ。園《その》をかこめる低き鉄柵《てっさく》をみぎひ
前へ 次へ
全18ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング